渋沢栄一たちが、パリに行っている間に、日本では、徳川慶喜が政権を返上するなど、歴史の大きな転換点を迎えていました。
渋沢成一郎(渋沢喜作)や尾高惇忠、渋沢平九郎(尾高平九郎)らは、新政府軍と戦うことに。
今回は、渋沢篤大夫(渋沢栄一)がパリに行くのに際して、彼の「見立て養子」となった渋沢平九郎について、書いていきたいと思います。
渋沢平九郎(尾高平九郎)の生涯は? イケメン? 高身長?
渋沢平九郎は、弘化4(1847)年生まれです。武蔵国樺沢郡下手計村(現・埼玉県深谷市)の生まれです。渋沢栄一よりも7歳年下になりますね。
<#青天を衝け 登場人物紹介>
尾高家の末っ子。偉大な兄たちの背中を追いかけ、姉の千代を心から慕い、文武両道で心優しい美青年に育つ。栄一のパリ行きにともない見立て養子となるが、そのことがきっかけとなり幕府崩壊の動乱に巻き込まれていく。 pic.twitter.com/FnamsAcGve
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) December 20, 2020
長兄は、尾高惇忠、次兄は、尾高長七郎です。七人きょうだいの末っ子でした。
兄の惇忠が家業を継ぎながらも、私塾を開いて、近くの若者たちに学問を教えていた環境もあり、平九郎も幼い頃から、学問や武芸に通じていました。
10歳の頃から、神道無念流を学び、19歳の頃には、剣術を教えられるような腕前だったそうです。
しかも、この平九郎は、兄の惇忠が記した『渋沢平九郎昌忠伝』によると、かなりのイケメンだったとのこと。色も白くて、身長も高かったそうです。
一説によると、渋沢栄一が150センチそこそこだったのに対して、渋沢平九郎は、174センチもあったというので、当時にしてみたら、とても高身長ですよね。
また、渋沢平九郎は、写真が残っており、その写真がTOKIOの松岡昌宏さんに似ていると言われているようです。
さらには、その『渋沢平九郎昌忠伝』によると、沈勇果毅(ちんゆうかき)と、記されており、いわば、落ち着いているのに、勇ましく、決断力もあり、意志も強いとのこと。また、それでいて、性格も温厚であったとか。
こんなに若いのに、まさにパーフェクトヒューマンですよね。
写真も残っていて、その様子からも、かなりのイケメンであったことが伺えます。
ちなみに、すぐ上の兄の尾高長七郎もイケメンだったとのこと。
大河ドラマ『青天を衝け』でも、長七郎役を満島真之介さんが、平九郎役を岡田健史さんが、といったイケメン俳優さんが演じられるのも納得ですね。
この兄や従兄弟たちの影響もあり、平九郎も若き頃から、高崎城乗っ取り・横浜焼き討ち計画に参画予定だったり、
また兄の惇忠が天狗党との関係を疑われた時は、平九郎自身も拘束されたりと、様々な余波を受けています。
そして、何と言っても彼の運命を変えることになったのが、パリへと渡欧する渋沢栄一の「見立て養子」になったことでした。
「見立て養子」とは、当時は、まだ外国に行くのがスタンダードでは、なかった時代、海外に行く時は、その生死が定かではないので、後継の男子がいない者は、その後継者として、養子を指名していくのが習わしでした。
これにより、平九郎は、農家の息子から、武家の息子へとなるのです。
大河ドラマの中でも、渋沢栄一の妻で、平九郎の実の姉でもある千代から、「平九郎、お前は、もうお武家様だ」と言われるシーンがありましたね。
渋沢平九郎の子孫は? 嫁は? 結婚は? ていとの関係は?
NHK大河ドラマ『青天を衝け』の中では、渋沢栄一の妹である、渋沢てい(演・藤野涼子さん)と、平九郎の関係がいいですよね。幼馴染で、想い合う二人を見ていると、応援したくなりますね。ドラマの中でも、二人のシーンは、素敵だなあと思いながら、いつも観ています。
第23回『篤太夫と最後の将軍』の放送の中で、江戸へと旅立つ平九郎に、泣きながらも、手作りの守り袋を差し出す、てい。
平九郎は、「おてい、俺の嫁になってくれ」と告白します。そして、栄一が無事に戻ってきた暁には、平九郎自身も血洗島に戻ってくると約束するのです。
その様子を渋沢ゑい(演・和久井映見さん)と千代(演・橋本愛さん)が物陰から、そっと見守るシーンがありましたが、視聴者の皆さんも、同じように、見守られていたのではないかと思います。
平九郎とてい 幸せになって欲しいですよね。
でも、運命は、非情なもので、平九郎は、飯能戦争にて、戦死してしまいます。まだ、22歳でした。
記録によると、平九郎には、妻は、いなかったそうです。ということで、平九郎には、子孫がいないとのこと。
大河ドラマ『青天を衝け』でも、渋沢平九郎の最期のシーンは、出てくると思いますが、どうにか、生き延びて、ていと結婚して欲しかったなあって思いますよね。
渋沢平九郎の死因は? 飯能戦争
鳥羽・伏見の戦いを皮切りに、戊辰戦争が勃発します。
大阪城を抜け出し、江戸に向かった徳川慶喜。旧幕府軍は総崩れになります。
徳川慶喜は、上野の寛永寺で謹慎し、江戸城は、新政府軍に明け渡されました。
薩長に対して、戦おうとする者たちが、「彰義隊」を結成します。渋沢成一郎(渋沢喜作)は、須永虎之助(伝蔵)に乞われ、彰義隊の頭取となります。
さらには、平九郎の兄の尾高惇忠も江戸に出て、彰義隊の参謀になります。平九郎は、大二清隊伍長に任命されます。
彰義隊は、慶喜が蟄居する寛永寺のある上野に拠点を置きます。しかし、慶喜は、恭順の意を崩すことなく、寛永寺を去り、水戸に戻り、謹慎します。
彰義隊は、その後、分裂し、渋沢成一郎、尾高惇忠、須永虎之助、そして渋沢平九郎は、新たに「振武軍」を結成して、上野を離れます。
新政府軍は、上野に残っていた彰義隊などの旧幕府軍を攻めました。上野を攻め落とし、ついに振武軍がいる飯能へと戦火が及びます。
新しく、殺傷能力の高い武器を持つ新政府軍の前に、振武軍は、ひとたまりもありませんでした。渋沢喜作、尾高惇忠、須永虎之助らは、仕方なく、敗走します。
ところが、その中には、渋沢平九郎の姿はなかったのです。彼らと離れ離れになった平九郎は、顔振峠へとたどり着きます。顔振峠とは、飯能と越生(おごせ)の間にあります。
実は、平九郎は、負傷していたのです。地元の人の助けを受け、新政府軍の追っ手が及びにくい、秩父へと逃げることをアドバイスされます。この飯能という土地は、元は、一橋家の領地であり、徳川への忠義も厚かったのです。
しかし、平九郎は、なぜか、秩父方面ではなく、中山道の方面を目指します。故郷に近く少しでも馴染みがある場所に惹かれたのかもしれません。
そして、ついに越生の山中で、新政府軍に見つかり、数名の手勢と対決しますが、銃で撃たれてしまうのです。
もはやここまで、と覚悟を決めた渋沢平九郎は、川岸の岩の上で、自刃するのです。
まだ、22歳という若さでした。
元々は、農家の生まれで、渋沢栄一の見立て養子になることで、武士になったという平九郎ですが、その心は、紛れもなく武士だったのですね。でも、助かって欲しかったです。
そして、なんと、平九郎の首は、見せしめのために、新政府軍により、晒し首になってしまいます。
平九郎茶屋とは? 渋沢平九郎の最期の地、墓は? 『渋沢平九郎昌忠戦闘之図』とは?
平九郎が最期を迎えた地、顔振峠は、埼玉県の西部にあり、ハイキングコースとしても有名です。
訪れたいのは、平九郎茶屋です。この平九郎茶屋には、平九郎も立ち寄ったとされています。当時の女性店主は、裸足で逃げる平九郎に草鞋を渡したと言われています。また、武士とわからないようにするため、大刀を置いていくことをアドバイスしたと言われています。
平九郎茶屋は、現在も営業を続けられており、いのしし鍋が有名だとのことですよ。
また、「渋沢平九郎自決の地」には、県道沿いに石碑が立ち、すぐそばにグミの木が生えています。グミは、平九郎グミと呼ばれており、初夏になると、真っ赤な実をつけるそうです。
平九郎が自決した地である黒山村の村人たちは、平九郎のことを脱走の勇士様と讃え、だっそさまと呼び、平九郎を祀ったと言うことです。
首は、見せしめとして、晒されましたが、遺体は、黒山村の人々により、全洞院というお寺の境内に祀られました。
のちに、平九郎の兄の尾高惇忠が黒山村で、勇猛果敢に戦って亡くなったという兵士の話を聞き、それが平九郎であったことを知ります。
明治6(1873)年に、渋沢栄一は、谷中の渋沢家の墓地に平九郎の首と遺体を祀ります。
翌年の明治7(1874)年には、渋沢栄一が全洞院に墓石を建立しています。
また、平九郎の最期を描いた絵が残っています。これは、山中・黒山三滝の側で、平九郎を呼び止め、斬り合いになった広島藩の神機隊の兵を治療した医師・宮崎通泰が描いたものです。
それから十数年の年月が経ちました。この絵に書かれているのは、平九郎ではないか、そう伝え聞いた惇忠は、絵の所有者を訪ね、『渋沢平九郎昌忠戦闘之図』と題し、添え書きをしたとのことです。明治23年のことでした。
渋沢平九郎(尾高平九郎)が登場する作品・ドラマ・小説・舞台は?
渋沢平九郎が大河ドラマに登場するのは、初めてのことです。こんなに印象的な人物であるのに、あまり作品には、取り上げられたことがないのかと思ったら、今までにもテレビドラマや小説でも題材になっていました。
テレビドラマでは、ずいぶん、以前の作品となってしまうのですが、TBS系のドラマ『雲を翔びこせ』で、川崎麻世さんが、1982年の『雄気堂々』では、田中健さんが演じられています。
どちらも主人公は、やはり、渋沢栄一とのことです。
また、小説にも登場しており、渋沢栄一の孫で小説家の渋沢華子が書いた『彰義隊落華 渋沢平九郎の青春』やテレビドラマの原作でもある城山三郎の『雄気堂々』にも平九郎が描かれています。
さらには、渋沢平九郎プロジェクトという歌劇(オペラ)が2021年2月6日に深谷市民文化会館で公演されました。こちらの作品は、DVDとして、販売されているそうです。
渋沢平九郎 役(尾高平九郎 役)は、岡田健史(水上 恒司)さん
尾高平九郎を演じるのは、今や大人気の若手俳優の岡田健史(水上 恒司)さんです。
趣味は、筋トレで、好きなものは、ラーメンという、その端正な顔立ちによらず、庶民的な一面もある岡田健史さんは、甲子園も目指したスポーツ万能の俳優さんです。
そんな岡田健史さんは、高身長で、イケメンで、武芸にも優れているという渋沢平九郎に、まさにぴったりのキャストだと思います。
ドラマの中では、平九郎は、幼少時代から、出てきます。渋沢栄一の妹である、おていと、幼馴染という子役の俳優さんが演じるところから始まり、岡田健史さんへとバトンタッチ。
末っ子で、兄の惇忠や長七郎、従兄弟の栄一や喜作らに、憧れ、彼らの後を追いかけていた平九郎は、ドラマのストーリーが進むとともに、どんどん成長していきました。
そんな姿は、岡田健史さん自身もご自分の幼い頃と重なるところがあるそうです。
平九郎の髪型も、最初の頃とは、違っていることにお気づきだったでしょうか。髪型も表情も、少し大人っぽくなっていますね。
あのお兄ちゃんたちの後を追っかけ回していた平九郎が、最後は、武士として、自決する。とても悲しいことでありますが、平九郎の成長を最後まで見守りたいものですね。
また、岡田健史さん自身も平九郎に自分自身を近づけようとして、裸足で歩いてみたり、手足を汚してみたりと、様々な試みをされているそうです。
岡田健史さんの渋沢平九郎、登場回数は残り少なくはありますが、きっと心に残るシーンとなると思います。しっかりと見届けたいですね。
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