高松凌雲とは、どんな人? 高松凌雲役は、細田善彦さん 渋沢栄一との関係は? 大河ドラマ『青天を衝け』

大河ドラマ『青天を衝け』では、パリ編が始まりましたね。

今回は、パリ万博の主要メンバーでもある奥医師の高松凌雲について書こうと思います。

 

高松凌雲とは、どんな人?

高松凌雲は、天保(1936)年生まれ。渋沢栄一よりは、4歳年上になりますね。

生まれは、実は、九州なんです。筑後国後原郡古飯村、現在の小郡市になります。庄屋の高松与吉という人の三男に生まれました。農家の出身ということで、最初から、医師の家系というわけでは、なかったのですね。

安政3(1856)年、久留米藩の家老である有馬飛騨という人の陪臣である河原弥兵衛の養子になりました。武士になり、川原荘三郎と名乗ります。

しかし、なんと24歳で脱藩して、医師になることを決意するのです。江戸にいる兄・古屋作左衛門を頼りに、江戸で行きます。蘭方医としても有名だった石川桜所のもとで、オランダ医学の勉強をした高松凌雲は、大坂の適塾に入ります。

適塾は、緒方洪庵が、江戸時代の後半に、大阪舟場に開いた蘭学の私塾です。テレビドラマ『JIN〜仁〜』でも登場したので、イメージが浮かびやすい人もいらっしゃるのではないでしょうか。『JIN〜仁〜』では、緒方洪庵を武田鉄矢さんが演じられていましたね。

適塾は、福沢諭吉、大村益次郎、佐野常民、大鳥圭介、高峰譲吉など優秀な人材が全国から集まっていました。

また、高松凌雲は、西洋医学は、もちろん、オランダ語や英語も習得するという、語学センスも抜群でした。




パリ万博とパリ留学 渋沢栄一との関係は?

慶応元(1865)年に、一橋家が、高松凌雲を藩医として、採用します。慶喜が将軍になったこともあり、高松凌雲は、幕府の奥医師となることに。

脱藩から、ここまで、わずか7年です。九州の農家の出身だった高松凌雲。渋沢栄一や土方歳三もまた、農家の出身でした。進む道は違えど、この三人は、農家の出身から出世していったという共通点がありますね。

そして、慶応3(1867)年、パリ万博の視察のため、渡欧する徳川昭武のお付きの医師として、パリへと随行することになったのです。

大河ドラマ『青天を衝け』の中では、廃兵院で、戦争で傷を負った兵士が、国からのお金で、平等に手当てを受けていることに、衝撃を受けていましたね。

パリ万博後は、留学生として、幕府の資金負担で、パリに残ることになりました。留学先は、オテル・デュー(神の家)という医学学校で、病院も併設されていました。高松凌雲が驚いたのは、西洋医学の技術以上に、病院の精神でした。

なんと、この病院は、貧しい人が無料で診察や治療を受けられるシステムになっており、その費用は、国から出ているものではなく、貴族や政治家といった富裕層の寄付によって、成り立っている病院だったのです。まさに赤十字の精神そのものでした。

その頃、日本は、動乱の真っ只中。徳川慶喜が大政奉還をし、その後、鳥羽・伏見の戦いが起こります。高松凌雲の留学も1年半ほどで、終わることになりました。

高松凌雲が日本に戻った時には、すでに幕府はありませんでした。江戸城は、明け渡されており、徳川慶喜は、水戸で謹慎していたのです。




箱館戦争に従軍

徳川慶喜や幕府に恩義を感じていた高松凌雲は、箱館戦争に医師として、赴くことにします。

そこで、高松凌雲は、箱館病院の病院長になるのですが、榎本武揚に全権委任状を得て、榎本武揚にも、病院のことについては、一切口を挟ませなかったと言います。

敵味方を問わずに、治療を行なったという高松凌雲。この、傷を負った者に対しては、敵味方を問わないという考え方については、当時、なかなか受け入れらず、現場でも混乱や反対する人間も現れたようですが、高松凌雲は、留学した時の精神で、やり遂げました。

この戦争では、高松凌雲の兄、古屋佐久左衛門も参戦していたのですが、残念ながら、亡くなってしまいます。

箱館戦争後は、役目が終わると、徳島藩にお預けの身になり、この時期に患ったリューマチに後年まで、悩まされたと言います。




同愛社の設立

高松凌雲は、慶喜の命により、東京で、水戸家に使えることとなりました。その後、明治3(1870)年に、町医者として、浅草新町に、医院を開業します。新政府からの役職も断って、自らが「神の家」を作ろうと思ったのですね。

明治10(1877)年2月に、西南戦争の際に、佐野常民から、日本赤十字社の前身にあたる博愛社の設立にあたって、発起人としての誘いがあったのですが、軍部によって設立されることに納得できず、断ったと言われています。

高松凌雲は、同年、10月に、鶯渓病院という、日本版・オテル・デュー(神の家)とも言える、無料で貧しい人たちを診察する病院を新築することに成功。しかし、一人でできることには、限界がありました。

そこで、明治11(1878)年に、医師会長の職にあった高松凌雲は、貧しい人々を無料で診察でするという「同愛会」の設立を提案。翌年の明治12(1879)年に、民間の救護団体の前身と言われる同愛社が設立されました。

貴賎や身分、立場を問わず、人々のために、医学で、世の人々を助けた高松凌雲は、大正5(1916)年に81歳で亡くなります。死因は、肺結核でした。

高松凌雲の墓は、谷中霊園に埋葬されています。




高松凌雲の登場するドラマ・小説は?

高松凌雲は、大河ドラマ登場は、2回目となります。前回、高松凌雲が登場したのは、『獅子の時代』で、なんと、1980年の作品です。

高松凌雲を演じておられたのは、尾上菊五郎さんです。尾上菊五郎さんとは、富司純子さんのご主人で、寺島しのぶさんや尾上菊之助さんのお父様に当たられますね。

大河ドラマの他には、日本テレビの年末時代劇スペシャルの『五稜郭』。この『五稜郭』は、1988年と、まさに昭和の最後の年に放送されたドラマだったのですね。高松凌雲を演じられていたのは、風間杜夫さんということで、この時は、まだ、30代だったそうです。

また高松凌雲を描いた小説で有名なのは、吉村昭さんの『夜明けの雷鳴 医師 高松凌雲』です。

文春文庫から出版されており、Kindleでも読むことができます。




高松凌雲を演じるのは、細田善彦さん

そんな高松凌雲を演じるのは、細田善彦さんです。

細田善彦さんは、1988年3月4日生まれの33歳。東京都出身です。以前は、「細田よしひこ」さん名義で活動をされていましたが、事務所を変わられたのを機に、細田善彦さんに改められました。

実は、細田さんの実家は、あの老舗の有名な和菓子屋である榮太樓總本鋪なんです。細田善彦さんは、現在の社長の次男に当たるそうです。

なんと、榮太樓總本舗の創業は、安政4(1857)年ということから、こちらも大河ドラマ『青天を衝け』とほぼ同じ時代ですよね。すごいです。そんな方の子孫なんですね。

榮太樓總本鋪といえば、榮太郎飴。私の祖母が榮太郎飴が大好きで、「デパートに行くなら、買って来て欲しい」と頼まれたことが何度かあり、あの缶を見ると、今も懐かしい気持ちになります。

そんなご実家が有名な細田善彦さんは、慶應義塾幼稚舎に入学、そして、慶応大学商学部を卒業されています。

趣味は、映画鑑賞とサッカーとのこと。文武両道なんですね。

デビューは、2004年。NTT東日本のCMです。

注目されたのは、2007年のドラマ『ライフ』です。このドラマ『ライフ』は、すえのぶけいこさんの漫画を原作としたテレビドラマです。北乃きいさん、福田沙紀さんが出演された「イジメ」をテーマにしたドラマで、当時、かなり話題になったことを覚えています。

そんなライフで、悪人とも言えるかなり難しい役を演じられました。

それから、数々の映画やドラマ、舞台などで活躍されています。

人気ドラマにも、出演されていて、『逃げ恥』の森山ちがや役(新垣結衣さんの森山みくりのお兄さんですね)や『3年A組ー今から皆さんは、人質ですー』に宮城遼一という刑事役で出ておられます。さまざまなドラマや映画に出演されて、なくてはならない存在感のある俳優さんですね。

NHK大河ドラマ出演は、今回が3回目。今までに『花燃ゆ』で新井領一郎、『真田丸』で北条氏直を演じられました。

今回の大河ドラマ『青天を衝け』の高松凌雲を見ていてもわかるように、非常に演技力の高い俳優さんとして、期待されています。

さらには、人気バラエティー番組の『逃走中』でもクロノス社の月村サトシ役で出演されていたこともあり、幅広い活躍をされている役者さんでもあります。

細田善彦さんの演じる高松凌雲の出演が今後も楽しみです。箱館戦争も大河ドラマで『青天を衝け』で、どれだけ描かれるかは、わかりませんが、土方歳三ともに、まだまだドラマでその活躍を見たいですね。

 




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