大河ドラマ『青天を衝け』の主人公、渋沢栄一。
これまで、妻・千代との純愛は、素敵でしたね。
千代については、こちら。
今まで、渋沢栄一の女性問題など、全く出てきませんでしたが、明治編では、数々の女性関係が描かれるようです。
今回は、二番目の妻、そして、渋沢栄一の妾たちについて書こうと思います。
渋沢栄一の二番目の妻は、伊藤兼子(渋沢兼子)の死因は? 伊藤兼子役のキャストは、大島優子さん 実家は、伊勢八
『青天を衝け』の終盤のヒロインになりそう伊藤兼子(渋沢兼子)です。
伊藤兼子の読み方は、「いとうかねこ」と読みます。
伊藤兼子のキャストが誰かというと、大島優子さんです。
大島優子さんにとっては、初めての大河ドラマ。NHK朝ドラの『スカーレット』では、主人公の喜美子(演・戸田恵梨香)の親友の照子役がとても良かったですよね。
今回の大島優子さんの伊藤兼子も見逃せませんね。
🔵第34回より登場
<#青天を衝け 登場人物>
「伊勢八」の名で知られた豪商・伊藤八兵衛の娘。明治維新後、家業が大損失を出して没落してしまう。路頭に迷う妹たちを女手ひとつで養うため、芸者として身を立てようと門をたたいた置き屋でやすと出会う。 pic.twitter.com/2eTxW9RKXM
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) November 6, 2021
伊藤兼子は、渋沢栄一の二番目の妻になります。後妻です。
千代がコレラで亡くなった翌年の1883年、渋沢栄一は、伊藤兼子と結婚します。なんだか奥さんが亡くなった翌年に再婚なんて、早すぎじゃない? とは、思うのですが、千代が亡くなったことで、紹介された縁談だったようですね。
伊藤兼子も、また再婚という、再婚同士の結婚でした。
伊藤兼子は、1852年生まれです。生まれ年だけで、生年月日まではわかりませんでした。
渋沢栄一とは、12歳差。ひとまわり違いの夫婦になりますね。渋沢栄一と再婚したのは、30歳頃のこととなりますね。
伊藤兼子は、実は、お嬢様でした。兼子の父の伊藤八兵衛は、もともとは、江戸の質屋で、伊勢屋長兵衛のところで、丁稚奉公として、勤めていましたが、才覚をあらわします。伊勢屋の一族である伊藤家の婿養子に入り、油の取引を行う油会所を設立、『伊勢八』という名の江戸随一の大富豪と言われるようになります。
兼子は、次女だったのですが、優秀だったのでしょうね。婿様子をとり、家業を継ぐことになります。
ところが、アメリカ人との共同事業を始めるため、保証金を出したところ、取引が失敗して、大損失。実家は没落し、夫とも離婚してしまいます。
兼子は、働き口を見つけるため、口入屋という職業斡旋所にて、芸妓の仕事をすることに。
その口入屋に、渋沢栄一が家のことを手伝ってくれる働き手をを紹介して欲しいと行ったのが知り合うきっかけになったようですね。
妾は、絶対、嫌だという兼子。もともと、大富豪のお嬢様ですから、プライドが許さなかったのかもしれませんね。栄一は、正妻として、兼子を迎え入れます。
そして、兼子と渋沢栄一には、不思議な縁がありました。なんと、渋沢栄一の邸宅が、兼子が昔、父の商売がうまく行っていた頃に住んでいた家だったというのです。すごい偶然ですよね!
実際のところ、兼子の気持ちはどうだったんでしょうね。夫となる人が自分が住んでいた家に住んでいるなんて、と、運命的なものを感じたのか、もしくは、自分の大事な家が人手に渡って悔しかったのか。
このあたりのエピソードがもしドラマで描かれるなら、どんな描かれ方をするのか、観てみたいですね。
伊藤兼子は、渋沢栄一が亡くなって3年後の昭和9(1934)年に亡くなります。82歳でした。
なかなか魅力的な人物ですよね。
伊藤兼子(渋沢兼子)は美人? 写真は? ゴールデンカムイの登場人物のモデル?
渋沢千代、同様に、渋沢兼子も写真が残っています。
若き日の伊藤兼子(渋沢兼子)は、とても美人ですね。
【次回から】
新しい技術を導入します。
次回からね。
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前より時間かかりますが導入してみます。
ちなみに画像は#渋沢兼子 #渋沢栄一 #青天を衝け pic.twitter.com/iS3z22Qri9— Japan Digital Colorist Association (@dmc_sub) February 21, 2021
そして、お年を召してからの写真。歳をとられても、かくしゃくとされているというか、聡明で凛とした佇まいは健在ですね。面影も残っています。
元NHKキャスター、松平定知の「『青天を衝け』外伝 渋沢栄一と女性たち」
第3回は、栄一の後妻「伊藤兼子」です。才覚があり、聡明な女性でした。#松平定知
#「青天を衝け」外伝#渋沢栄一と女性たち#後妻、伊藤兼子#才覚があり、聡明な女性 pic.twitter.com/6ZbiwVyfVQ— こちら夕刊フジ編集局 (@yukanfuji_hodo) September 29, 2021
そんな伊藤兼子(渋沢兼子)ですが、『ゴールデンカムイ』の登場人物のモデルになっている可能性があるとか。金子花枝子という人物が出てきます。花枝子は、財界の大物(渋沢栄一?)と浮名を流し、女帝と呼ばれるというエピソード。
また、花枝子は、『あさが来た』の主人公のモデルにもなった広岡浅子ではないかとも言われています。
渋沢栄一の妾・大内くにとは?
それでは、渋沢栄一の妾の一人、大内くに、について書きたいと思います。
これまで、大河ドラマでは、渋沢栄一と渋沢千代の純愛が描かれていましたよね。
幼馴染の渋沢喜作と千代との三角関係や、弟の渋沢平九郎が小さい頃、「姉様は、俺の嫁にする」というセリフもあったりと、とても微笑ましく、夫婦を見守っておられた方も多いと思います。
千代が幼い時から、栄一のことを好きだったというエピソード、とても素敵でしたよね。
民部省が大蔵省に統合され、大蔵省で、仕事も順調な渋沢栄一ですが、明治3(1871)年に、出張先の大阪で、大内くにという女性と出会います。
🔵第30回より登場
<#青天を衝け 登場人物>
京都生まれ。夫が戊辰(ぼしん)戦争に出たまま行方知れずとなったため、女中として生計を立てる。大蔵省で働く栄一が大阪造幣局へ出張していたころ、三野村利左衛門が設けた宴席でたまたま女中として働いていた。 pic.twitter.com/dCVU8r8TSF
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) October 9, 2021
大内くには、渋沢栄一の妾となるのです。
そして、千代と、くには、ほぼ同じ頃に出産します。千代は、次男の渋沢篤二、くには、ふみを出産します。
さらに、栄一は、くにを江戸に連れて帰り、千代と一緒に暮らすことになります。妻と妾とが一緒に住むことは、この時代には、珍しいことではなかったそうで、昔は、何かとすごいですね。
今の世の中だと、考えられないことですよね。
千代の立場でも、くにの立場でも、どちらの立場でも嫌ですよね。というか、渋沢栄一の立場でも落ち着かないような気がするんですけど、と、考えてしまうのは、現代人だからでしょうか。
ちなみに千代の子供は、この他にも、いと、という三女がいましたが、幼くして亡くなっています。
くにの子供は、文子と照子です。この二人は、なんと千代の親戚と結婚しているんです。
文子の夫の尾高次郎の父は、千代の兄の尾高惇忠。照子の夫の大川平三郎も千代の姉のみちの息子と、なんだかややこしいですね。
でも、正妻の親族と妾の子供達が結婚となると、そんなに二人の関係は、悪くなかったのかもしれません。
渋沢一族という固い絆で結ばれていた関係かもしれませんね。
大内くに役の女優は、仁村 紗和さん
そんな大内くにを演じるのは、女優の仁村 紗和さんです。
仁村 紗和さんは、1994年10月13日生まれの26歳。大阪府の出身です。
「太眉女優」と言われる眉が特徴的な、目鼻立ちのはっきりした美人な女優さんです。
大河ドラマは、今回が初出演になりますが、実は、朝ドラは、すでに出演済みなんです。
それは、朝ドラ『おちょやん』の節子役です。節子は、主人公が働くお茶屋『岡安』のお茶子です。
節子は、自己主張もしっかりとした気持ちのいい役でしたよね。
朝ドラ出演が決まった時は、仁村さんのご親戚一同、皆さんが喜んでくださったそうです。
今回の大河ドラマもきっと、ご家族の皆さんも、楽しみに放送を待たれていることでしょうね。
渋沢栄一の子供は、いったい何人? 遺産相続は?
兼子との間には、9人の子供が生まれたのですが、うち5人は、死産や幼い頃に亡くなり、4人の子供が成長しました
また、大内くにの他にも、鈴木かめ、田中久尾といった妾もいたそうです。
大河ドラマ『青天を衝け』では、栄一は、千代一筋のように描かれていますが、実際には、女性関係は多く、最初の妻、千代との間に3人、次の妻の兼子との間に4人で、妾の子も合わせると20人以上の子供がいたようです。(一説には、50人以上とも!?)
また、渋沢栄一が68歳の時に生まれた長谷川重三郎は、第一勧業銀行に入り、頭取となっています。
こんなに子供がたくさんいたら、遺産相続とか、さぞ、揉めるんじゃないの? と思うのですが、そのあたりは、きちんと考えられており、渋沢栄一の子供達が渋沢同族会という財産を管理する会を作りました。この会には、正式に、渋沢栄一の子供と認められている人間しか入会できませんでした。(正妻及び認められた妾)そうしないと渋沢栄一の子供と名乗る人間は多すぎたのかもしれませんね。
大河ドラマ『青天を衝け』も残すところ、後、2ヶ月弱。
これまでとは、違った渋沢栄一の姿が観られるかもしれません。
明治以降の渋沢栄一の行く末を見届けたいですね。