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大河ドラマ『青天を衝け』の第6回『栄一、胸騒ぎ』では、渋沢栄一(演・吉沢亮)と、幼馴染みの尾高千代(演・橋本愛)の恋の進展を予感させるようなシーンがありました。また、江戸では、徳川慶喜(演・草彅剛)が結婚し、ドラマの最後は、老中の阿部正弘(演・大谷亮平)が倒れるというところで締めくくられました。
渋沢栄一と尾高千代の恋模様も気になるところですが、今回は、この阿部正弘とは、どんな人だったのかということについて、書いていきたいと思います。
阿部正弘とは、どんな人? 阿部正弘の生涯は?
まずは、阿部正弘とは、どんな人物なのでしょう?
教科書には、ちらっと出てきた気もするんだけど……それぐらいのイメージじゃないでしょうか。
西郷隆盛や坂本龍馬、土方歳三なんかは、有名だけれど、まだ、井伊直弼なら、桜田門外の変とか、思い浮かぶけれど、阿部正弘って、パッと耳にしてもイメージが浮かびにくいですよね。
では、阿部正弘の生涯を見ていきましょう。
阿部正弘が生まれたのは、文政2(1819)年。1840年生まれの渋沢栄一よりも、21歳年上になります。まだ、渋沢栄一が幼い頃に、活躍されていた人物なんですね。その阿部正弘なんですが、安政4(1857)年に亡くなります。まだ39歳という若さでした
そんなわけで、ドラマの中でも渋沢栄一が阿部正弘と直接、話をしたりするシーンはありません。同じ時代に生まれてはいるのですが、活躍する年代が違っているのですね。阿部正弘がもう少し長生きであったら、二人は、実際に出会っていたかもしれませんね。
さて、その阿部正弘の生い立ちを見ていきましょう。
阿部正弘は、備後国福山藩の第7代の藩主なんです。第5代の藩主である阿部正精(まさきよ)の5男として、江戸で生まれました。阿部家の家系図を見ますと、父の正精(まさきよ)の死後は、兄が家督を継いだのですが、兄が病弱だったこともあって、正弘が家督を継ぐことになります。
そして、出世が早いんです。なんと25歳の若さで老中になります。25歳って、今の世の中だったら、新卒2〜3年目とか、若手の社員ですよね。それが老中です。
え? 25歳で、老中? 老中っていうと、なんだか、おじいちゃんなの?って感じですけど、いえいえ、それは、年齢ではなく、幕府の要職の名称なんです。
老中とは、将軍のもとで、政治を取り仕切る最高の役職なんです。大老というのがありますが、こちらは、臨時で置かれる役職なので、通常は、老中が最高役職となりますね。これを25歳で就いているのですから、相当、優秀な人物だったんでしょうね。
さらに、老中の中でも「老中首座」をつとめました。まさにリーダ・オブ・リーダーって感じですよね。
さて、阿部正弘が老中だった時の世の中の大事件というと、やっぱり「ペリー来航」ですよね。
幕末のドラマでは、絶対、描かれますよね、このペリー来航は。衝撃的です。
テレビで大河ドラマを観ていると、「ふーん、ペリー来航かー、マシュー・ペリー役は、モーリー・ロバートソンさんなんだ。モーリーさん、テレビで、よく見かけるけど、似合ってるねえ」みたいな感じで、楽しく観ているのですが、実際の阿部正弘をはじめとする歴史上の人物は、本当に大変だったと思います。
日米和親条約の終結、これにより、約200年に渡る鎖国が終わることになります。
また、阿部正弘は、将軍継嗣後継問題では、徳川慶喜を推していたこともあり、『西郷どん』や『篤姫』など、幕末の大河ドラマでも、登場シーンが多いですね。
阿部正弘はイケメンだった? 阿部正弘を演じた俳優は?
実は、阿部正弘は、かなりのイケメンだったと言われているそうです。
ちなみに、今までの歴代の大河ドラマでの阿部正弘の登場回数は、8回です。
『花の生涯』、『翔ぶが如く』、『徳川慶喜』、『篤姫』、『龍馬伝』、『八重の桜』、『西郷どん』、『青天を衝け』に登場しています。幕末には、外せない常連の人物ですね。
今回の『青天を衝け』でも大谷亮平さんが、そして、3年前の『西郷どん』(せごどん)では、藤木直人さんが演じられています。阿部正弘が39歳という若い年齢で亡くなるということもあるので、年配の俳優さんではなく、30〜40代の年齢が近い俳優さんが演じられているのかな?と思っていたのですが、それだけではなく、イケメンな俳優さんが選ばれていたのかもしれません。
ちなみに『篤姫』では、草刈正雄さんが演じられています。草刈正雄さんが、阿部正弘を演じられたのは、56歳ということで、阿部正弘の活躍年齢からすると、少し年齢が上の俳優さんという気もしますが、イケメンという点では、納得ですよねえ。
では、阿部正弘は、大谷亮平さんや、藤木直人さんのようだったのかなあと思って、阿部正弘の肖像画を見てみると、少し、ぽっちゃりとした、ふくよかな方に見えますねえ。うーん、大谷亮平さん、藤木直人さんでは、なさそうな。
大河ドラマ『青天を衝け』で阿部正弘役の大谷亮平さんもインタビューで語られていたのですが、阿部正弘は、自分の意見をいうよりも、周りの意見を募り、対処法を考えていくタイプであったというらしいのです。言わば、調整役のようなリーダーだったのではないかなと思います。
当時は、動乱の時代なので、「俺が、俺が!」みたいな人が多かったかもしれません。ただ、人って、ガーッと自分のことばかり喋る人よりも、人の話をきちんと聞いてあげる人がモテますよねえ。そんな気配りのできる頭のいい人、落ち着いた人という面や、育ちの良さなどから、イケメンに見えていたのかもしれませんね。こんなに出世が早いのだから、間違いなく仕事はできるので、何事にもスマートな方だったのかもしれません。
若き有能な政治家、阿部正弘。もう少し、長生きしていたら、どうだったんだろう。歴史に、「もしも」や「たられば」は、ありませんが、ちょっと想像してしまいますね。
また、大河ドラマでも、渋沢栄一と阿部正弘が出会っていたら、どんな話をしたんだろう。なんて、考えてしまいますよね。ちょっと残念。
阿部正弘の死因は?
『西郷どん』(せごどん)では、阿部正弘は、第13回で亡くなります。今回は、第7回ということで、早めの退場となります。大谷亮平さんの阿部正弘が出てこないのは、寂しいですよね。第6回の『栄一、胸騒ぎ』の回で、草彅剛さん演じる徳川慶喜と語り合うシーンは、本当に印象的でした。
さて、阿部正弘の死因は、なんなのでしょう?
あれだけの激務なのだから、過労とか、国家を背負う重圧からのストレスなのかと思われますね。
ドラマの中でも急に倒れますが、周りも驚くほどの急死だったようです。
イケメンと言っておいてなんですが、相当な肥満体型であったらしく、ストレスから、酒量が増えての肝臓がんだったと言われています。生活習慣病もあったかもしれません。
また、急死ということで、暗殺説もあったりしたようですが、暗殺というと、大河ドラマ『西郷どん』でも島津斉彬が暗殺されそうなシーンがありましたが、そんな暗殺説などの噂も立つぐらい、周囲も慌てふためくほどの急死だったのでしょうね。
阿部正弘の功績は? 評価は?
若くして、老中になり、幕末の動乱期に、日本を支えた阿部正弘。
幕末の欧米列強らの脅威が迫る中で、海防掛を設置しました。
海外からの脅威だけではなく、国内でも、「安政の大地震」や、「コレラの流行」など、政権を脅かす出来事がたくさん起こった中で、国の舵を取っていきます。
また、人材の登用にも優れていました。
大河ドラマ『青天を衝け』にも登場する川路聖謨(かわじとしあきら)(演・平田満)などを海防や外交の一線に抜擢したのです。
島津斉彬などの有力大名とも積極的に意見を交換し合いました。
大河ドラマ『青天を衝け』では、徳川斉昭(演・竹中直人)や、松平慶永(春嶽)(演・要潤)らと、徳川慶喜を将軍に擁立すべく動きます。
そして、ペリー来航による『日米和親条約』の終結。
さらに高島秋帆(演・玉木宏)や勝海舟を起用し、軍備の強化を図りました。海軍伝習所、講武所、洋学所などを創設し、国の近代化に尽力しました。その功績は、『安政の改革』と呼ばれています。
阿部正弘を知れば知るほど、大河ドラマ『青天を衝け』からの退場が残念に思えてなりません。
幕末の動乱期、これから、大河ドラマの中で、日本はどうなっていくのか、そして、主人公の渋沢栄一の行く末は? いろいろ楽しみですね。
阿部正弘を題材にした小説とは?
今回、大河ドラマ『青天を衝け』で阿部正弘のことが気になって、もっと知りたいと思われた方も多いのではないでしょうか?
そんな阿部正弘にまた会える、もっと深く知れる小説をご紹介します。
『群青のとき』(今井絵美子・著)(角川書店)です。
作者の今井絵美子さんは、広島県福山市出身。そう、福山藩主でもある阿部正弘と同じ出身地なんです。
阿部正弘は、幕末でも重要な役割を果たした割には、ドラマでは、それほどクローズアップされたことは、今までにもあまりなかったと思います。
そんな阿部正弘の生涯を描いた『群青のとき』は、阿部正弘のことをもっと知りたい方におすすめです。
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