川村恵十郎は、どんな人? 川村役は、波岡一喜さん 平岡円四郎の暗殺者を返り討ちも 大河ドラマ『青天を衝け』

先日の大河ドラマ『青天を衝け』では、平岡円四郎が同じ水戸藩士により、暗殺されてしまいました。

草彅剛さんの徳川慶喜の慟哭が凄まじく伝わってきました。

平岡円四郎が襲われた際に、川村恵十郎。大河ドラマ『青天を衝け』では、彼が傘を取りに戻った際に、平岡円四郎が襲われてしまいますが、その川村恵十郎とは、どんな人だったのでしょうか?

川村恵十郎は、どんな人? 剣術に優れた、天然理心流の剣客 渋沢栄一と出会った日記も。写真には当時の傷跡が。

川村恵十郎は、天保7(1836)年生まれです。

出身は、現在の八王子です。小仏関所番の長男として生まれました。小仏関所とは、甲州街道のひとつです。

渋沢栄一よりも4歳年上。意外にも平岡円四郎よりも渋沢栄一や渋沢喜作と歳が近かったんですね。

剣術の達人のようないでたちの彼は、天然理心流。天然理心流といえば、新選組の局長、近藤勇でも有名ですよね。

川村恵十郎は、安政2(1855)年に、21歳で、小仏関所番見習いとなりました。

文久3(1863)年に普請役見習として、一橋家に仕えることになりました。普請役とは、江戸幕府の役職の一つで、河川や道路などの修理の先に大名や諸士、農民などに賦課された夫役のことです。

川村恵十郎自身の身分は、あまり高くなかったようです。

大河ドラマ『青天を衝け』では、平岡円四郎の護衛のようにぴったりとくっついていましたよね。

『青天を衝け』では、平岡円四郎と渋沢栄一の出会いが描かれていましたが、実は、川村恵十郎が渋沢栄一と江戸で知り合い、平岡円四郎、黒川嘉兵衛らに渋沢栄一を紹介したという話があるそうです。

実は、このことは、川村恵十郎の日記に残っているそうです。

元治元(1864)年、平岡円四郎が、水戸藩士の林忠五郎、江幡広光らに、襲われ、暗殺されたとき、川村恵十郎も斬りつけられ、自身も傷を負ったのです。それにもかかわらず、林、江畑の両名を返り討ちにしたのですから、ものすごい剣術の達人ですよね。

斬り合いの際に受けた傷は大きく、晩年に撮影された写真にも、その時の傷跡が顔に大きく残っています。

平岡円四郎が暗殺された後も、川村恵十郎は、徳川慶喜に仕えます。戊辰戦争を経て、駿府へと退くまで、仕えているという忠誠心の厚い人だったようですね。




川村恵十郎は、明治以降は、どうなった?

明治維新の後は、名前を恵十郎から、正平へと、改名しました。

明治6(1873)年に大蔵省に出仕します。

大久保利通の渡清に同行したりと、明治26(1893)年まで政府で務めあげます。

その後は、日光東照宮で、禰宜という役職を務めています。

明治31(1898)年に63歳で亡くなりました。

幕末の志士たちで、明治以降も生き残り、活躍した人々は、川村恵十郎だけではなく、時代の流れが、前半生と後半生に大きく影響していることを感じますね。

川村恵十郎の子孫ですが、子供は、劇作家の川村花菱という方です。明治17(1884)年という明治の世の中になってから、恵十郎が48歳の時に生まれています。




川村恵十郎の役は、波岡一喜さん 大河ドラマ 朝ドラで活躍 代表作に『パッチギ』『仮面ライダー鎧武』など

この川村恵十郎を演じたのは、俳優の波岡一喜さんです。鋭い眼光で、とても頼りになりそうな方でしたよね。私の周りでも平岡円四郎ともども、カッコいいと、話題になっていました。

波岡一喜さんは、1978年7月2日生まれの42歳。大阪府大阪市の出身です。高校は、大阪府立高津高校へ進学、その後、早稲田大学の政経学部へと進まれています。

16歳の時には、すでに俳優を始められていました。

出演作品は、映画やドラマ、舞台など幅広く活躍されています。代表作品には、『パッチギ』『クローズ』『仮面ライダー鎧武』『海猿』などがあります。

特に『パッチギ』では、井筒和幸さんに厳しい指導を受けられたそうで、その後の俳優人生にとても影響を受けたようです。

NHKの作品にも多数、出演しており、大河ドラマは、『平清盛』の源義平役に続き、『青天を衝け』が2回目の出演となります。

また、朝ドラでも欠かせない役者さん。『ちりとてちん』『ごちそうさん』『わろてんか』という関西を舞台にした朝ドラに3度も出演されています。朝ドラファンの方は、パッとみて、「あ、あの時の朝ドラの!」と思われる方が多いのではないでしょうか。私は、『ちりとてちん』に出演された時の役柄がとても印象に残っています。

実生活では、すでにご結婚されており、ご家族は、奥さんや三人のお子さんがいらっしゃるようです。仮面ライダー鎧武の出演は、ご自身のお子さんに仮面ライダーの姿を見せたかったからだそう。自分のお父さんが仮面ライダーだなんて、子供たちは、嬉しくてたまりませんよね。

波岡さんですが、自身のインスタで、平岡円四郎の暗殺場所になった京都の西町奉行所跡を訪ねた写真をアップされています。ご自身も大変、思い入れのある役柄だったのでしょうね。ちなみに、西町奉行所は、二条城のすぐ近くにあります。

JR二条駅から徒歩5分というアクセスしやすい場所で、現在は、『西町奉行所跡』という石碑が建っています。京都観光、二条城観光の折に訪ねてみるのも良いかもしれませんね。

 




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