大河ドラマ『青天を衝け』は、今まで、幕末やパリ万博など、遠い世界の出来事が描かれるようなイメージでしたが、第29回の『栄一、改正する』では、『郵便制度』という私たちの身近にあることが描かれる回となりました。
今回は、『日本近代郵便の父』と呼ばれる前島密について、書きたいと思います。
「前島密? あまり知らないなあ、どんな人?」と思われるかもしれませんが、一円切手のデザインになっているあの方です。
郵便料金が値上げされた時なんかに、端数の一円切手で、お目にかかったことはありませんか?
現在、普通に使っている言葉、『郵便』、『葉書』、『切手』という言葉も前島密によるものだそうですよ。
そう考えると、『青天を衝け』の登場人物でも、もっとも身近な人物の一人かもしれませんね。
ちなみに、今年は、郵便制度が始まってから、150周年を迎えます。
言わば、記念の年でもありますね。
前島密は1円切手の人 郵便制度の創設 日本近代郵便の父
前島密は、天保6(1835)年生まれです。天保6年といえば、あの坂本龍馬、小松帯刀、篤姫、五代友厚などがいる黄金世代ですね。
生まれは、越後国です。現在の新潟県上越市の出身になります。幼名は、房五郎と言います。
密(ひそか)という、ちょっとしゃれた名前とは、全く違うお名前だったんですね。
実家は、300年続くという天領の豪農で、次男でした。しかし、生まれて間もなく父の上野助右衛門が病死してしまいます。
4歳の時に、母のていと、家を出て、母の実家である高田家に移ります。母は、裁縫の仕事をして、房五郎を育てます。この時、母は房五郎を詩歌や錦絵、当時の教科書でもあった往来物で、教育しました。
大河ドラマ『青天を衝け』の中では、一見、エリートのように見えますが、子供の頃から、苦労していたんですね。
7歳になると、母・ていと糸魚川藩の藩医でもある叔父の相澤文仲に養われます。そこで、医学を志します。
郵便と医学のイメージがあまり結びつかず、意外な感じがしますよね。
10歳になると、母・ていと別れて、高田に遊学し、高田藩の儒学者である倉石典太(くらいしてんた)の塾で学びます。
12歳の時に、江戸に出ます。オランダ医学を学ぶためです。蘭学や英語を学びます。
この頃、学費などで、苦労したということです。
安政5(1858)年、23歳の頃、函館に行き、航海術を学びます。この時、名前を巻退蔵(まきたいぞう)と改めます。まだまだ前島密とは、似ても似つかない感じですね。
慶応元(1865)年、30歳になり、薩摩藩の鹿児島開成学校という洋学校にて、英語の先生になります。ただこの時、倒幕を目指す薩摩藩の考え方と、開国を目指す巻退蔵の考え方とは、ちょっと違うものがあったようですね。
この年、兄の又右衛門が亡くなったという知らせを受けて、地元に戻ります。
その翌年、慶応2(1866)年、江戸に出て、幕臣である前島錠次郎の養子になります。名前を前島来輔とします。いよいよ、前島ですね。そして、この年に、幕臣の清水与一郎の娘、奈何(仲子)と結婚もしています。31歳の時でした。
翌、慶応3(1867)年、開成所の数学の教授になります。この開成所は、江戸幕府の教育機関で、現在の東京大学のルーツに当たるそうです。
そして、いよいよ明治維新後の明治2(1869)年、明治政府から招かれ、新政府に出仕します。
この頃は、優れた人物と聞けば、政府の方から声をかけて登用していたようです。現在のように試験とかで決めるのではなかったのですね。
そして、この頃に、前島密と名乗るようになったようです。
ついに、みんなが知っている前島密ですね。
前島密と渋沢栄一の関係は? 明治政府 民部省改正掛のメンバー
天保6(1835)(1835)年生まれの前島密は、天保11(1840)年生まれの渋沢栄一とは、5歳違いになりますね。
前島密は、明治政府の民部省改正掛に勤務します。改正掛(かいせいがかり)とは、明治2(1869)年に民部省に設置され、明治3(1870)年には、大蔵省に移管、明治4(1871)年の大蔵省と民部省の再統合の際に廃止されました。渋沢栄一が中心として、制度の改革を手がけました。
改正掛のメンバーは、12〜13人ほどいたと言われています。もちろん前島密も改正掛のメンバーの一人です。
他のメンバーにも杉浦譲(杉浦愛蔵)、最初は、渋沢栄一を認めたがらない岩国藩出身の玉乃世履(たまのよふみ)が出てきましたね。赤松則良や土佐藩士の岡本健三郎、長岡敦美、熊本藩士の江口純三郎、佐藤与之助などが集められました。
前島密は、明治3(1870)年、駅逓権正(えきていごんのかみ)に就任します。
ここからの活躍は、『栄一、改正する』の回で描かれていましたね。
前島密は、「駅逓が必要!」そして、私は『郵便』の父になる」と叫んだ前島密が頼もしかったですね。
ただ、その直後に鉄道計画の借款契約の終結のために派遣される上野景範に随行して、イギリスへ行くことになり、郵便事業は、杉浦譲に託すことになります。
杉浦譲については、こちらをどうぞ。
前島密は、イギリスで、郵便についてを目にすることになります。この頃、ヨーロッパでは、郵便は、すでに一般的なものになっていたとのことです。郵便だけではなく、また、イギリスの郵便局では、貯金や保険も取り扱っていたとのことで、郵便貯金や簡易保険が始まるのは、郵便制度よりは、もう少し後になりますが、だんだんと現在の郵便局の片鱗が見えてきたような感じですね。
翌、明治4(1871)年4月20日、郵便制度が始まります。現在でもこの日は、郵政記念日として、記念切手が発売されたりしますね。
前島密は、8月にイギリスから戻り、駅逓頭(えきていのかみ)になります。ここから、書状だけではなく、雑誌や新聞を取り扱ったり、明治6(1872)年には、全国均一料金制も導入されます。
さらに日本では、明治5(1872)年には、鉄道が開業し、郵便も運ばれることになります。
『郵便』という名前の由来は? 前島密によるアイディア
日頃、私たちが何気なく読んでいる「郵便」。
この名前を発案したのも前島密です。
「郵」って、そういえば、「郵便」という言葉以外で、目にすることってないですよね。
「郵」とは、公用文書の中継を行う宿場のことと言われています。その宿場という意味の『郵』に、
便りという文字の『便』で、『郵便』という言葉になりました。
昔は、逆から文字を書いていたので、『便郵』となって、ちょっとその並びだと、なんとなく、違和感も感じましたね。
前島密を大河ドラマ『青天を衝け』で演じるのは、三浦誠己さん
🔵第28回より登場
<#青天を衝け 登場人物>
旧幕臣。明治新政府で栄一がつくった「改正掛」に抜てきされる。通信の不便を解消するため、郵便の必要性を説いて具体案を構想するが、採用直後に渡英。帰国後は駅逓頭(えきていのかみ)となって全国の郵便網を確立した。 pic.twitter.com/dsnG8nJVEc
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) September 25, 2021
前島密を演じるのは、俳優の三浦誠己(みうらまさき)さんです。
1975年11月16日生まれの和歌山県出身の45歳です。
実は、大阪NSC13期生で、お笑いコンビ『トライアンフ』として、活動されていたという異色の経歴を持っておられます。
その後、コンビを解散、ピン芸人として活動し、2003年から、俳優に転向されました。
前島密の演技も真面目なのに、どこかコミカルで、すごく似合っていましたよね。
奥様は、女優で演出家・脚本家とマルチに活躍されている笹峯愛さんです。旧芸名の笹峰愛さんの方が馴染みがある方も多いかもしれませんね。
映画『彼女について知ることのすべて』で共演したのがきっかけだそうですよ。
前島密翁の死因・墓所・子孫は? 前島密賞とは?
前島密は、大正8(1919)年に84歳で、病気で亡くなります。その2年前の大正6(1917)年には、夫人の仲子が69歳で亡くなっています。
奥さまが亡くなられた時は、かなり落胆したそうです。とても仲のいいご夫婦だったのでしょうね。
当時とすると、前島密は、かなり長生きしていますよね。
晩年は、神奈川県芦名(現在の横須賀市)に別荘「如々山荘」(じょじょさんそう)で過ごしました。
この「如々山荘」は、浄楽寺という寺の境内に建っていて、前島密・仲子夫妻の墓は、浄楽寺にあります。
その子孫ですが、長男の前島弥(わたる)が実業家に、長女から四女もそれぞれ、政治家や地質学者、土木工学者、国文学者などに嫁いでいます。
また前島弥(わたる)の孫である前島勘一郎は、貴族院男爵議員になっています。
そして、多大な功績のあった前島密は、賞の名前にもなっています。元は、前島賞という名前だったこの賞は、郵便・通信・放送といった分野で功績のあった人に与えられる賞で、通信文化協会が主催している賞です。
前島密記念館とは?
『前島密記念館』をご存知でしょうか?
『前島密記念館』は、新潟県上越市にあります。前島密の生家跡に建てられたもので、なんと1931(昭和6)年に建てられたそうです。
前島密は、実は、郵便制度を創始しただけではなく、さまざまな功績を残しているんです。
記念館では、前島密の遺品をはじめ、約200点もの展示があるそうですよ。手紙、絵画、落款、愛用していた尺八なども展示されているらしいです。
上越市方面に旅行に行かれた時は、ぜひ、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
前島密の名言
そんな多大な功績を残した前島密は、名言も残しています。
「縁の下の力持ちになることを厭うな。 人のためによかれと願う心を常に持てよ。」
「誓って兄弟の血はすすらない。 税金で飯を食おうとは思わない」
必要以上に出しゃばったりする人物ではなく、謙虚な人物であったと言われています。
この残した名言からも、想像できますよね。
前島密は、こ大河ドラマ『青天を衝け』に、この後も登場するのでしょうか? あまりドラマで描かれることがない人物だと思うので、もう少し、前島密の活躍を見たいものですね。