渋沢栄一の「横浜焼き討ち計画」「高崎城乗っ取り」とは? 大河ドラマ『青天を衝け』

こんにちは

大河ドラマ『青天を衝け』。

第11回は、『横濱焼き討ち計画』というタイトルです。今まで「栄一〜」という「桜田門外の変」などという歴史上の大きな事件と絡めながらも、「栄一」という言葉が付いていたからか、穏やかな印象を受けていました。

それが今回は、「栄一〜」がはずれて、何やら、事態の大きさを感じます。

そして、この事件が渋沢栄一の今後を決める大きな転機といっても過言ではないでしょう。

今回は、前回の第10回『栄一、志士になる』から、第11回『横浜焼き討ち計画』ならびに、その計画がどうなったか(第12回以降)についてのことを書いていこうと思います。

渋沢栄一の江戸への遊学 「思誠塾」大橋訥庵について

儒学者の海保漁村の下谷の私塾や北辰一刀流の千葉道場は、第10回『栄一、志士になる』の回で、江戸に行った時に、籍を置き、学んだところです。文久元(1861)年、栄一、21歳の時でした。ちなみに千葉道場は、坂本龍馬も学んだところとして、有名ですが、栄一が通った千葉道場と坂本龍馬が通った千葉道場は、別の場所にあったようです。

栄一は、京都に行くまで、いろいろな塾に入って、志を同じとする仲間と知り合い、学んだようです。

第10回では、江戸の思誠塾の話が主に描かれていました。

この思誠塾を日本橋に開いた大橋訥庵は、渋沢栄一や尾高長七郎にも影響を与えた人物です。水戸の藩士らとともに、安藤信正の暗殺計画を企てますが、坂下門外の変に失敗し、捕らえられてしまい、文久2(1862)年7月12日に獄中死します。

大橋訥庵が大河ドラマで描かれるのは、初めてのことで、大河ドラマ『青天を衝け』では、山崎銀之丞さんが演じられていました。大橋訥庵は、大河ドラマ初登場ですが、大河ドラマ『八重の桜』で江藤新平を演じられており、大河ドラマ2回目の出演となります。

山崎銀之丞さん演じる大橋訥庵は、かなり雰囲気のある人物だったので、もう登場されないと思うと、ちょっと残念な気がします。




徳川慶喜が将軍後見職に任命される

文久2(1862)年7月、徳川慶喜が将軍後見職に任命されます。これは、薩摩藩の島津久光の働きかけによるものです。家茂がまだ年若いために、慶喜を後見人にするのが良いということを孝明天皇に進言したのでした。これにより、徳川慶喜は、謹慎を解かれて、政治の舞台へと舞い戻ります。

また、久光の要請により、隠居していた松平慶永(春嶽)も政事総裁職につきます。

将軍後見職、政事総裁職は、幕末に新しく設けられた江戸幕府の三要職とされています。もう一つの京都守護職には、会津藩主・松平容保が任命されています。

ちなみにこの年の9月には、生麦事件が起こっています。薩摩藩の島津久光の一行(島津久光は、薩摩藩主・島津久茂(忠義)の父)と行き当たった4人のイギリス人を殺傷。(死亡者1名・重傷者2名)翌年、薩英戦争にまで発展します。




横濱焼き討ち計画とは

文久3(1963)年、尾高惇忠は、渋沢栄一と渋沢喜作に攘夷の遂行と封建制打破のための計画を明かします。

これが一言で言えば、大規模なテロ計画なんです。

まず、上州にある高崎城(現・群馬県高崎市)を夜襲で乗っ取って、武器を奪い、軍備を整えます。高崎城は、血洗島からもそんなに遠くはなく、アクセスしやすかったようです。

そして、そこから、鎌倉街道を使い、横浜に入った後、旧居留地を、焼き払ってしまい、外国人ともども、斬り殺してしまえ!! というなんとも無茶苦茶な計画です。ドラマを見ていると、あの尾高惇忠さんがそんなことを言い出すなんて、びっくりですが、「横浜を焼き討ちにしてしまえば、外国から、幕府は非難されて、混乱するだろう」という世にも恐ろしい計画でした。

この計画は、かなり具体的に進められます。資金調達をし、あちこちで刀を買い集め、それを蔵に隠し、防具や提灯など、必要なものを買い揃えます。同士も海保漁村の塾や千葉道場、郷里などから、70人ばかり集めました。

決行日も「11月23日の冬至の日」と決め、もうやるしかないといった状況です。

しかし、この計画は、結局、行われませんでした。京都に行っていた尾高長七郎が戻ってきたのです。長七郎は、栄一たちよりも早くから、攘夷運動に携わっていたこともあり、世の中の状態がわかっていました。長州勢が一掃された京都の情勢や世の中の流れを栄一たちに説明し、「栄一たちの計画は、実行しても失敗する!」と、かなり激論となったようです。

この年、京都では、『八月十八日の政変』が起こっていました。これは、公武合体派が尊王攘夷派を京都から追放したというクーデターです。薩摩藩や会津藩などの公武合体を推し進めていた藩が手を組んで、攘夷派の長州藩を追い出しました。こちらは、大河ドラマ『新選組!』でかなり詳しく描かれていました。

なんと、長七郎は、36時間にもわたって、栄一たちを説得。結果的に栄一たちは、この『横浜焼き討ち計画』を断念します。

え? あの一番、攘夷! 攘夷!と言っていた長七郎が? 栄一たちよりも少し先を走っていて、坂下門外の変にも加わろうとしていた長七郎が逆に栄一たちを諌めに来たので、びっくりですね。

ここですごいなと思ったのは、栄一たちが長七郎に説得されて、計画をやめるところです。

いや、もうここまで来たんだから、やるしかない。今更、後へひけるか、当たって砕けろだ!のような見境なく突き進むのではなく、間違っていた場合には、ちゃんと撤退が出来るところがさすがだなと感じました。これだけ、人も資金も集めていたら、「ちょっと、やめます」とは、言いにくいと思うのですが、栄一たちは、よくとどまったなと思いました。

もしもこの時、『横浜焼き討ち計画』が行われていたらどうなったでしょうか。渋沢栄一は、もしかしたら、後世に名を残すような功績を残すことができなかったかもしれません。

 




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