天狗党の乱・武田耕雲斎・藤田小四郎とは? 渋沢栄一・徳川慶喜との関係は? 大河ドラマ『青天を衝け』

こんにちは、NHK 大河ドラマ『青天を衝け』第15回『篤太夫、薩摩潜入』の回では、ついに、薩摩藩・西郷隆盛が登場しましたね。

博多華丸さんの演じる西郷隆盛は、強烈なインパクトで、物語がどんどん先に向かっていく印象を受けました。

また次回予告での平岡円四郎についても気になるところです。

そんな中、ドラマの中で、武田耕雲斎の元へ、藤田小四郎が筑波山にて挙兵したという話が飛び込んできます。

今回は、武田耕雲斎、藤田小四郎。また、天狗党の乱についてを書きたいと思います。

武田耕雲斎とは、どんな人?

武田耕雲斎は、享和3(1803)年に、水戸藩に生まれました。誕生日は、定かではありません。跡部正続の子として生まれ、跡部正房の養継子となります。養継子とは、家督相続人となるべき養子のことです。

文化14(1817)年に家督を継いだ時に、武田氏に名を改めます。

この武田耕雲斎は、藤田東湖、戸田忠太夫とともに、「水戸の三田」と言われています。

ちなみに藤田東湖と戸田忠太夫の二人で、「水戸の両田」とも称されています。残念ながら、この藤田東湖と戸田忠太夫は、二人とも、安政2(1855)年の「安政江戸地震」で命を落としてしまうのです。

大河ドラマ『青天を衝け』では、水戸藩主(9代)の徳川斉昭が、「安政江戸地震」で亡くなった藤田東湖の死を悲しむシーンが描かれていましたね。

武田耕雲斎は、藤田東湖らとともに、徳川斉昭を支え、藩政改革に取り組みます。

弘化元(1844)年に、徳川斉昭が大砲の連発や、寺院の弾圧などを咎められ、幕府から、謹慎処分にされた時は、武田耕雲斎が、この処分に猛反発したために、武田耕雲斎も謹慎処分になります。大河ドラマの中では、一見、真面目で堅物に見える武田耕雲斎でありますが、その実は、情に厚く、自身も熱い志を持っている人物なのですね。

嘉永2(1849)年、徳川斉昭の復帰に伴い、耕雲斎も藩政に復帰しています。安政3(1856)年には、執政に任命され、辣腕を振るうのです。

しかし、万延元(1860)年、徳川斉昭が病没すると、水戸藩は混乱します。

慶応元(1864)年、藤田東湖の四男である藤田小四郎が天狗党を率いて挙兵してしまいます。武田耕雲斎は、これを諌めようとしたのですが、藩内の取締不行届きとして、執政を罷免されてしまうのです。そして、武田耕雲斎は、藤田小四郎に懇願されて、天狗党の党首となります。断った挙句も、資金援助だけではなく、天狗党の総大将になるという覚悟が伝わってきます。

この時、武田耕雲斎は、62歳でした。




武田耕雲斎等墓とは? 武田耕雲斎の辞世の句は?

武田耕雲斎の墓は、水戸市の明雲寺にあります。水戸駅からバスで20分ほど行ったところにあります。

ただ、武田耕雲斎の墓は、ここだけではなく、処刑された福井県の敦賀にもあるんです。

敦賀の墓は、『武田耕雲斎等墓』という名称で、国の史跡に指定されています。武田耕雲斎等墓の住所は、福井県敦賀市松島町というところにあります。

ここには、処刑された天狗党員353名が埋葬されています。

 

また、武田耕雲斎が詠んだ辞世の句です。

咲く梅の 花ははかなく 散るとても香りは君が 袖にうつらん

梅の花という故郷を思わせる言葉を使っています。

志の高い武田耕雲斎の、時代の流れに翻弄されてしまった無念さが伺えます。




武田耕雲斎の子孫は、武田金次郎

武田耕雲斎の子孫に、武田金次郎という武田耕雲斎の実孫にあたる人がいます。母は、藤田東湖の妹というから、サラブレッドのような血筋に思えますよね。

この武田金次郎は、1848年生まれで、渋沢栄一よりも8歳下、藤田小四郎よりは、6歳年下になります。

実は、武田金次郎は、「天狗党の乱」にも、祖父の武田耕雲斎や、父とともに参戦しました。この乱で、祖父と父は、処刑されてしまいます。この時、武田金次郎は、まだ16歳と若かったため、死罪にはならず、生き残り、遠島処分になります。

その後、武田金次郎は、水戸藩に帰藩しますが、その後半生は、復讐に燃えるものであったとされます。

武田金次郎は、晩年、困窮し、48歳で亡くなります。

 




大河ドラマ『青天を衝け』の武田耕雲斎の役者は、津田寛治さん

武田耕雲斎が大河ドラマに登場するのは、今回の大河ドラマ『青天を衝け』が初めてのようです。

ちなみに武田耕雲斎と似た名前に、「武田観柳斎」(たけだかんりゅうさい)という新撰組の隊士がいます。武田観柳斎は、2004年のNHK大河ドラマ『新選組!』で、八嶋智人さんが演じておられ、すごく印象に残りました。

また、『るろうに剣心』の武田観柳は、武田観柳斎がモデルらしいですね。

今回、大河ドラマ『青天を衝け』で武田耕雲斎の名前を聞いたときは、「あれ?」って思ったぐらいです。

今回、この武田耕雲斎を演じられるのは、津田寛治さんです。武田耕雲斎は、大河ドラマ初登場でも、津田寛治さんの大河ドラマ出演は、今回の大河ドラマ『青天を衝け』で4回目となります。過去には、『天地人』で大谷吉継、『花燃ゆ』で松島剛蔵、そして、2018年に『西郷どん』で松平春嶽(慶永)を演じられています。

特に『西郷どん』の松平慶永の役は、3年前ということで、記憶に新しい方もいらっしゃるのではないでしょう? 今回の松平春嶽(慶永)の要潤さんと見比べて、描かれ方の違いを楽しむのもよし、また、津田寛治さん自身が演じている松平春嶽(慶永)と武田耕雲斎という幕末の同時代の人物の演じ方の違いに注目されるのも面白いですよね。

津田寛治さんは、福井の出身。故郷・福井の殿様である松平春嶽(慶永)を演じられた時、水戸藩が悲運の藩だと感じられたそうです。今回、武田耕雲斎を演じる時に、そのことを改めて思い出されたとか。そして「天狗党」の総大将として、悲惨な最期を遂げる武田耕雲斎は、その悲運の象徴であると思ったことを語られています。

ただ、津田寛治さんの演じる武田耕雲斎は、その悲壮感を表に出すのではなく、徳川斉昭のことを尊敬し、藤田東湖らの仲間を大切にする優しくて、情の深い人物が伝わってきます。

津田寛治さん自身も若い頃から、徳川斉昭役の竹中直人さんにお世話になり、非常に、竹中直人さんを慕っているそうです。そんなことから、徳川斉昭が亡くなった時の武田耕雲斎の悲壮感が手に取るようにわかったそうです。

また、藤田東湖の息子の藤田小四郎のことも、覚悟を決めて、引き受けるところも、武田耕雲斎の仲間思いのところが表れています。

武田耕雲斎は、福井県の敦賀で捕らえられます。松平春嶽(慶永)という福井のお殿様に対し、福井で捕らえられる武田耕雲斎という別の形で故郷にゆかりのある人物たちを演じる津田寛治さん。

どう描かれるのか、気になりますね。




藤田東湖の四男の藤田小四郎とは? 演じるのは藤原季節さん

藤田小四郎は、天保13(1842)年生まれ。渋沢栄一の二歳年下になりますね。

藤田東湖の四男として生まれます。生母は、藤田東湖の妾である土岐さきです。さきは、小四郎が二歳の時に藤田家を出ています。藤田小四郎には、二人の兄がいたのですが、兄弟の中でも藤田小四郎が一番、才能があったようです。父・藤田東湖の影響を受けて、尊王攘夷運動に身を投じていきます。

安政江戸地震で、父の藤田東湖を失くした後は、藤田東湖の従兄である原市之進に師事するようになりました。原市之進は、弘道館の館長もつとめ、徳川慶喜の側近で、大河ドラマ『青天を衝け』では、尾上寛之さん、同じく大河ドラマ『徳川慶喜』では、山口祐一郎さんが演じられています。

藤田小四郎は、文久3(1863)年、水戸10代藩主・徳川慶篤(徳川慶喜の長兄)の上洛に付き従い、京都で、長州藩士らと、交流します。桂小五郎や久坂玄瑞らです。そんな背景もあり、尊王攘夷の思想をより一層、深めた藤田小四郎は、攘夷の挙兵を決意します。

元治元(1864)年、藤田小四郎は、筑波山にて挙兵します。

ちなみに今回、大河ドラマ『青天を衝け』で藤田小四郎の役の役者さんは、藤原季節さんです。

藤原季節さんは、1993年生まれで北海道の出身です。

ドラマ『監察医 朝顔』シリーズや『カルテット』、映画『止められるか、俺たちを』などに出演され、2021年には、主演映画『のさりの島』や『くれなずめ』の公開が予定されている、今、注目の俳優さんです。

宮本武蔵に憧れて、剣道を始め、剣道二段の腕前ということで、時代劇にもピッタリの俳優さんですね。大河ドラマ『青天を衝け』では、その腕前を披露されるのでしょうか? 楽しみですね。




水戸天狗党の乱とは?

天狗党とは、何なのか? 難しいですよね。わかりやすく知りたいですよね。

天狗党は、元は、水戸藩の後継者争いの時に、徳川斉昭を擁立した一派のことです。

「人々を軽蔑して、批判に対して、謙虚ではなく、鼻高々で、偉そうにしている」と言われ、鼻の高い天狗から、その名で呼ばれるようになったと言われています。ただ、徳川斉昭は、老中・阿部正弘に対し、「水戸の天狗は、偉そうではなく、忠義に厚く、志の高い者のことだ」ということを言っています。

そして、八月十八日の政変により、京都から、長州藩が追放されました。尊王攘夷派の期待は、水戸藩に寄せられます。

藤田小四郎は、元治元(1864)年、筑波山にて、天狗党を挙兵します。

朝廷に、尊王攘夷の志を直訴するために立ち上がった天狗党は、兵を率いて上洛を試みます。天狗党は、京都にいる、慶喜を新しい水戸藩主にしようという目的がありました。総勢、八百名を率いて、中山道を通り、京へ向かいますが、敦賀の新保で、幕府軍に追討されて、斬首されてしまうのです。

この幕府軍の討伐の総大将が何と一橋慶喜だったんです。一橋慶喜は、自ら志願したのです。

自分たちが一番、頼りにして、わかってくれると思っていた一橋慶喜がその総大将とは、あまりにも悲劇的なことでした。




天狗党と諸生党

水戸藩では、7代藩主の徳川治紀(はるとし)には、長男の斉脩(なりのぶ)、他に三男の敬三郎がいました。他にも男子はいたのですが、他藩の養子になっていたのです。

治紀の死後、第8代水戸藩主になった斉脩。この時、斉脩は、まだ20歳でした。そして、世継ぎがないままに、33歳で、亡くなってしまいます。

家老などの藩の上層部は、第11代徳川家斉の子を養子に迎えようと考えましたが、下級武士を中心に斉脩の弟の敬三郎を次期藩主に!という声が上がりました。この敬三郎こそが、のちの第9代水戸藩主の徳川家斉なのです。

ところが、この時の争いは、遺恨を残し、幕末におけるまで続いていきます。

斉昭擁立を良く思わなかった諸生党と呼ばれた市川三左衛門を中心とする派と、尊王攘夷を掲げる藤田東湖や武田耕雲斎らの派とは、対立していたようです。

この水戸藩における内部抗争は、激しいものでした。安政年間においては、西郷隆盛が仲裁に入ったこともあるということです。ただ、おさまらなかったようです。
それにしても、西郷隆盛という人は、他藩でも信頼され、人望があったんですね。

 




天狗党の乱を扱った小説

「天狗党の乱」を扱った本・映画や小説には、数々の作品があります。

中でも、朝井まかてさんの『恋歌』(れんか)は、おすすめです。直木賞受賞作です。

描かれているのは、樋口一葉の師にあたる中島歌子。歌子は、幕末の江戸に生まれ、商家の娘として育ちます。激しい恋を実らせて、水戸藩士に嫁いだ歌子でしたが、尊王攘夷派である夫は、天狗党の志士でした。内乱が起こり、歌子ら家族は、夫と引き離されて、逆賊として、投獄の身になります。朝井まかてさんによる女性の目線からも幕末を描いた小説です。

また、吉村昭の小説『天狗争乱』があります。この作品は、『桜田門外の変』が起こってから、4年後、筑波山に挙兵した天狗党が、幕府の追討を受けて、敦賀にて、最期を迎えるまでの物語です。

大河ドラマ『青天を衝け』では、描かれない天狗党の話をより深く、知ることができるのではないでしょうか。




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