大河ドラマ『青天を衝け』を盛り上げているのが大隈重信・大隈綾子夫妻ですよね。
大隈重信の口癖の「あーる」は、お馴染みになりましたし、大隈重信夫人の綾子との息の合ったコンビも面白いですよね。
今回は、そんな大隈重信を支える妻の綾子を中心に、大隈重信夫妻について書きたいと思います。
大隈重信は、出身藩は佐賀藩 プロフィールは?
大隈重信といったら、何を想像されるでしょうか? 早稲田大学の創設者? 総理大臣になったことがあるということでしょうか?
大隈重信は、佐賀藩の出身です。天保9(1838)年2月生まれです。
渋沢栄一より、2歳年上になりますね。
日本の内閣総理大臣を二度(第8代・第17代)と努めた人物です。
佐賀藩士の大隈重保の長男として生まれました。幼名は、八太郎と言います。
7歳の時に佐賀藩の藩校「弘道館」に入りますが、儒教の教育に反発し、藩校の改革を叫び、のちに退学となります。
尊王派の義祭同盟に参加し、ここには、副島種臣や江藤新平らも一緒でした。
幕末は、長州藩と協力することや、幕府と長州藩との関係をとりなそうと唱えましたが、藩政にまで、この働きが及ぶことがなかったようです。
オランダの宣教師にイギリスやアメリカなどを中心とする諸国のことを学んだり、海外のことに精通するようになります。
尊王派として脱藩、副島種臣とともに大政奉還を勧める計画を練りますが、京都で、捕縛され、1ヶ月の間、謹慎処分を受けることになります。
幕末の志士、というほど、幕末に活躍したわけではなく、明治維新後に、活躍していったというイメージが強い方ですね。
大隈重信は、何した人? 明治十四年の政変
慶応4(1868)年、長崎に赴任します。ここでは、手腕を認められ、井上馨や小松清廉にも、一目置かれた存在であったようです。
また、イギリスの公使パークスとの交渉で、功績を挙げるなど、今後の経歴に影響していきます。
明治2(1869)年には、会計官御用掛に任ぜられます。会計に詳しかったわけではなく、外交の問題として、このパークスとの交渉には、彼を置いて他にないということで、大きな評価を得ています。
この頃、綾子と結婚しています。再婚です。前の妻は、美登という女性でした。
『青天を衝け』でも大隈重信が登場したのは、この頃ですね。大隈邸では、渋沢栄一を始め、伊藤博文や井上馨、前島密が寝起きしていたこともあったと言います。
「築地梁山泊」とも言われたという大隈邸。若手官僚の方々が、そんなに入り浸りとは、妻の大隈綾子さんは、何かと大変だったでしょうね。
大隈重信は、地租改正や殖産興業、富岡製糸場の設立など、その他、鉄道や電信などのインフラの整備にも尽力。
これによって、大久保利通、保守派の副島種臣らとも対立などもあったと言います。
大隈重信は、木戸孝允に重用されることにより、政界でも力をつけていきます。
その後、木戸孝允との対立や、大久保利通の暗殺、伊藤博文の台頭もあり、政界の情勢は、変わっていきます。
政界でも活躍した大隈重信でありましたが、明治十四年の政変により、政界を追放されます。
大隈重信のエピソード 足を負傷 佐賀・大隈記念館に義足
大隈重信は、明治22(1889)年に、爆弾によって、襲撃されます。大隈重信遭難事件と言われています。
なんとか、一命は、とりとめましたが、右足を大怪我して、大手術を受けることになります。
なんと、右足の大腿下三分の一を切断したと言います。
大隈重信が使ったという義足は、佐賀県の大隈記念館に展示されています。
大隈重信の死因は?
大隈重信は、大正11(1922)年に1月10日に、早稲田の私邸で亡くなっています。死因は、病死です。腹部のがんと萎縮腎によるものでした。
85歳で亡くなったということで、かなり長生きされたのですね。襲撃はされたことはあったものの、暗殺などではありませんでした。
前年の大正10(1921)年頃から、風邪がきっかけで、静養したのですが、腎臓炎や膀胱カタルなどに悩まされたようです。
私邸での告別式を執り行ったあと、日比谷公園で、国民葬が行われました。多数の一般市民も参列して、大隈重信を見送ったとされています。
日本の政治や近代化に尽力を尽くされた大隈重信は、たくさんの人々に支持されていたのですね。
大隈重信を演じるのは、大倉孝二さん
「であーる」が口癖で、コミカルで、憎めない大隈重信。
そんな大隈重信を演じるのが大倉孝二さんです。
🔵第27回より登場
<#青天を衝け 登場人物>
短気でせっかちな夫の手綱をしっかり握り仲むつまじい夫婦として知られる。大隈家には政府関係の来客が絶えなかったが、手厚くもてなした。千代とも交流を深め、グラント前アメリカ大統領の応接では共に活躍する。 pic.twitter.com/byNbdYfaxk
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) September 18, 2021
大倉孝二さんは、1974年7月18日生まれ。東京都立川市の出身です。
東京のご出身なんですね。大隈重信は、佐賀出身なので、佐賀弁が難しいと思いますが、とてもうまく演じられていますよね。
身長は、187センチもあるそう。確かに大隈重信を見ていると、背が高いなあと感じますね。
大倉孝二さんは、劇団ナイロン100℃所属の実力派俳優さんです。
大倉孝二さんの奥さんは、女優の朱門みず穂さんです。子供さんもいらっしゃいますが、数年前のテレビ番組では、父親の大倉孝二さんの演技を見たことがないと言っていました。俳優さんの親子って、そんなものなのでしょうかね?
また、似ている有名人も多く、俳優では、森下能幸さん、女性では、ふせえりさんに似ていると言われています。さらに、芸人では、かまいたちの濱家隆一さんや、さらば青春の光の森田哲矢さんにも似ていると言われています。
個性的な大倉孝二さんですが、似ていると言われている方々も個性的な味を持っておられる方ばかりですね。
そして、大倉孝二さんといえば、2002年に公開された映画「ピンポン」のアクマ役が有名ですよね。
NHK大河ドラマに出演されるのは、『青天を衝け』が2回目となります。
前回は、『新選組!』の河合耆三郎役でした。勘定方として、活躍しますが、切腹させられてしまう河合耆三郎を覚えておられる方も多いと思います。
大倉孝二さんがまた大河ドラマに出られるなんて、とても嬉しいですね。
また、民放のドラマでは、『アンナチュラル』で、大倉孝二扮する毛利と吉田ウーロン太演じる向島というコンビで演じられた刑事役が人気でした。このコンビで、『MU404』にもコラボ出演されました。
この他にも数え切れないほどの、ドラマ、映画、舞台で活躍される大倉孝二さんの大隈重信がこれからも楽しみですね。
大隈綾子は、どんな人?
大隈綾子は、大隈重信の二番目の妻です。
大隈綾子が生まれたのは、嘉永3(1850)年10月です。
大河ドラマ『青天を衝け』の中でも触れられていましたが小栗忠順のいとこに当たります。
旗本の三枝七四郎という人の次女です。江戸に生まれました。子供の頃は、兄と一緒に小栗家に住んでいたと言います。小栗家とは、かなり深い間柄なんですね。
大隈重信の妻ということから、華やかなイメージなのですが、明治維新になった頃は、父が亡くなったこともあり、実家の貧しさで生活に困ったようです。その頃は、茶屋で奉公したという話も残っています。一緒に奉公したのは、岩松武子(井上武子夫人)とも。
実は、綾子は、大隈重信とは、再婚。最初の夫は、柏木貨一郎という人でした。神田泉橋の老舗の糸屋の次男で、大工の棟梁の養子になっていた人だと言います。この夫は、お金持ちで、かなりのイケメンだったと言われています。しかし、この結婚は、うまくいかず、すぐに離婚してしまいます。
そして、20歳の時に大隈重信と結婚します。大隈重信とは、再婚同士。だからこそ、お互い、分かり合えるところがあったのかもしれませんね。
ドラマの綾子を見ても、大変、しっかりした性格で、大隈重信を支えたそうです。実際に、家の中でも綾子の方が、重信のお尻を叩いているようなところがあったらしく、なんだか、『青天を衝け』の中では、本当に大隈夫妻を見ているんじゃないかと思ってしまいますね。
綾子は、重信が罷免され、生活が苦しくなった後も、内助の功で夫を支え、襲撃により片足がなくなった重信に寄り添ったとされています。
もしかしたら、最初の資産家でイケメンな男性との結婚は、自分の能力を発揮するには、物足りなかったかもしれませんね。生活の困窮など物ともせず、頑固で言い出したら聞かないところがある夫もうまく操縦していた、まさに影の政治の立役者といっても良いかもしれません。
生涯、重信を支えた綾子は、重信が亡くなった翌年に、73歳で、亡くなりました。
大隈綾子は、『あさが来た』にも登場
大隈綾子が大河ドラマに登場するのは、『青天を衝け』が初めてのことになりますが、実は、朝ドラでは、登場したことがあるのです。
朝ドラで大隈綾子が登場したのは、『あさが来た』。そうです。大河ドラマ『青天を衝け』と同じく大森美香さんの脚本の作品です。
『あさが来た』で、大隈綾子役を演じたのは、松坂慶子さんです。大御所ですよね。大隈重信役の高橋英樹さんとともに、主人公、あさを支える憧れのような存在でした。美しくて、気高いのに、かわいらしいところもある松坂慶子さんの大隈綾子は、とても印象に残っています。
『青天を衝け』の大隈綾子役は、朝倉あきさん 結婚・本名は?
大隈綾子役の女優は、朝倉あきさんです。
🔵第27回より登場
<#青天を衝け 登場人物>
短気でせっかちな夫の手綱をしっかり握り仲むつまじい夫婦として知られる。大隈家には政府関係の来客が絶えなかったが、手厚くもてなした。千代とも交流を深め、グラント前アメリカ大統領の応接では共に活躍する。 pic.twitter.com/byNbdYfaxk
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) September 18, 2021
朝倉あきさんは、1991年9月23日生まれ。生まれたのは、福岡県の朝倉市。出身地は、神奈川県となっています。
あれ? 朝倉市の朝倉さん?と思われると思いますが、本名は、吉岡禮生(あき)さんで、芸名を出生地からとったようですね。
2006年にあの東宝シンデレラオーディションの第6回での最終選考に残りました。惜しくも受賞はしなかったのですが、東宝芸能に所属することになります。
NHKのドラマでは、大人気の漫画を原作とする『とめはねっ!鈴里高校書道部』で初主演を果たされました。望月結希役を好演されました。
朝ドラや大河ドラマファンの方々の中で、朝倉あきさんを知られたのは、『てっぱん』では、ないでしょうか?
瀧本美織さん演じる主人公の村上あかりの親友の篠宮加奈を演じられた朝倉あきさん。
瀧本美織さんとの二人のシーンは、お二人とも、めちゃくちゃかわいかったですよね。
朝ドラでは、この他に『純と愛』に宮里羽純で出演されています。
そして、大河ドラマでは、『青天を衝け』の他にも『江〜姫たちの戦国〜』のなつ役。
『おんな城主 直虎』の高瀬役を演じられたました。高瀬姫は、井伊直親の娘であり、井伊直政の異母姉でもあります。ちなみに高瀬姫の少女時代を演じられたのが高橋ひかるさんです。
一時期、所属事務所を退所して、芸能界を離れていたこともあり、病気なのか、それとも、結婚されたのでは?という噂が出回ったようですが、現在も独身のようです。
また民放の人気ドラマでは、『下町ロケット』では、加納アキ役で人気でした。技術開発部の技術者という役柄は、とてもカッコよかったですよね。
さらに『グランメゾン東京』は、玉森裕太さん演じる平古祥平の婚約者の蛯名美優役でした。ドラマの中では、嫉妬したりと、難しい役柄でありましたが、見事に演じられて、ドラマを盛り上げられました。
大河ドラマ『青天を衝け』も残りわずか。大隈重信・綾子夫妻に、ますますドラマを盛り上げてもらいたいですね。