岩崎弥太郎の子孫は? 坂本龍馬・渋沢栄一との関係は?三菱商会 岩崎弥太郎役は、中村芝翫さん 岩崎弥太郎生家は、カフェ? 大河ドラマ『青天を衝け』

大河ドラマ『青天を衝け』も明治編になり、今までの雰囲気とは、ガラリと変わります。

これからは、政治や経済の話が中心になってきそうです。

今回は、ドラマの後半でも重要な登場人物の一人となる岩崎弥太郎についてです。

岩崎弥太郎とは? 弥太郎のお父さんは? 名言・経歴について

岩崎弥太郎は、天保5(1835)年に、現在の高知県安芸市に生まれました。

安芸というと阪神タイガースのキャンプ地を想像してしまいますね。そんな高知県の生まれです。

岩崎弥太郎がNHK大河ドラマで、取り上げられるのは、これが3回目。1968年の『竜馬がゆく』(演・中尾彬)、2010年の『龍馬伝』(演・香川照之)、そして、今回の『青天を衝け』です。

岩崎弥太郎のお父さんに当たる人は、岩崎弥次郎という人です。

岩崎弥次郎は、地下浪人という身分でした。地下浪人は、「じげろうにん」と読みます。ちかろうにんでは、ありません。地下浪人という言い方は、武士の中でも身分の高い上士が浪人になった場合と区別するために呼ばれていました。

土佐藩の武士は、上級武士である上士と下級武士である下士にわかれてます。上士は、山内家の家臣の子孫で、下士は、長宗我部家の家臣の子孫や土着の豪族の子孫でした。大河ドラマ『龍馬伝』の第一回のタイトルが『上士と下士』というタイトルだったので、とても印象に残っています。

岩崎家は、もともとは、甲斐武田家にルーツがあり、その後、関ヶ原の戦いでの功を認められ、山内家に使えることになります。江戸中期には、郷士という身分になります。しかし天明の大飢饉などが重なり、その煽りで、岩崎弥太郎の曽祖父の代に郷士の資格を売って、地下浪人となってしまうのです。

2010年の大河ドラマ『龍馬伝』では、この岩崎弥太郎のお父さんである岩崎弥次郎を蟹江敬三さんが演じておられましたね。お母さんの美和は、倍賞美津子さんでした。岩崎弥太郎は、弥次郎と美和の長男として生まれました。

安政元年に(1854)に江戸に行き、昌平坂学問所教授の安積良斎という人の見山塾に入塾します。

安政2(1855)年に父が酒の席で庄屋と争いになり、牢屋に入れられてしまいます。驚いた岩崎弥太郎は、土佐に帰り、奉行所へと訴えます。でも証人が庄屋の味方をしたことから、

「官は賄賂をもってなり、獄は愛憎によって決す」

と、大書したため、投獄されてしまいました。

牢屋に入れられた岩崎弥太郎でしたが、この時に獄中で、同じ牢に入った証人から、商法や算術などを教えられます。このことがきっかけで商売の道に進むことになるのです。

牢屋から出たものの、生まれ育った村を追放されてしまいます。安政5(1858)年に、蟄居の身であった吉田東洋の少林塾に入塾。ここで、後藤象二郎らと交流ができます。吉田東洋が復帰してからは、東洋に使え、清朝のことを知るために長崎に派遣されます。

ところがイギリスやオランダ人と花街で豪遊して、散財してしまいます。お金がなくなったため、こっそり帰国した岩崎弥太郎は、やめさせられてしまいます。岩崎弥太郎が27歳の時でした。

しかし、弥太郎は、お金を借りることで、郷土株を買い戻すなどして、結婚もしています。妻は、高芝重春という人の次女の喜勢(きせ)です。『龍馬伝』では、マイコさんが演じておられましたね。




岩崎弥太郎の家系図は? 妻は? 子孫は?

岩崎弥太郎の妻、喜勢(きせ)は、土佐藩の郷士である高芝重春の次女として生まれました。しかし、生まれてすぐに父が亡くなり、実母の徳が再婚。そのため喜勢は、父の弟で叔父にあたる高芝小七郎の元で育ちました。

文久2(1862)年、喜勢は、母の徳の夫である久萬直勝と、岩崎弥太郎の姉夫婦である吉村喜久次夫妻の仲介により、岩崎弥太郎と結婚します。喜勢は、17歳。弥太郎は、29歳の時でした。

喜勢と弥太郎との間には、長女、長男、次女がいます。長女の春路は、後に総理大臣となる加藤高明と結婚します。長男の久弥は、三菱の三代目の総帥となり、次女の磯路は、政治家の木内重四郎に嫁いでいます。

すごい家系ですね。

長らく、喜勢は、弥太郎の父と母と一緒に土佐に住んでいたのですが、明治7(1874)年には、高知から東京へと移り住みます。

その後、喜勢は、実子以外にも弥太郎の養子や妾の子を含めて、5男5女の教育に務めました。弥太郎の妾は、弥太郎が亡くなった時点で6人もいたということです。

そんな子供たちを立派に育て上げ、子孫にわたるまで、一大勢力となる華麗なる一族を作り上げたのは、妻の喜勢あってのことでしょうね。きっと、素晴らしい女性であったのでしょうね。

喜勢は、大正12(1923)年に61歳で亡くなります。




『青天を衝け』の岩崎弥太郎役は、中村芝翫さん

今回、『青天を衝け』で、岩崎弥太郎を演じられるのが、中村芝翫さんです。中村芝翫さんは、大河ドラマの常連といってもいいほど、たくさん出演されています。

中村芝翫さんが出演された大河ドラマの作品は、これまでで、6作品。

『獅子の時代』、『武田信玄』、『毛利元就』、『元禄繚乱』、『功名が辻』、『青天を衝け』になります。

このうち『毛利元就』では、主演の毛利元就を演じておられましたね。

その他にも徳川家康だったり、石田三成だったりと、重要な人物も務められています。

そんな中、面白いのは、『獅子の時代』で演じられた徳川昭武。1980年の作品とのことで、中村芝翫さんは、まだ15歳の頃だったんですね。




岩崎弥太郎と坂本龍馬の関係は?

岩崎弥太郎と坂本龍馬は、一歳違い。岩崎弥太郎が生まれた翌年の天保6(1836)年に坂本龍馬が生まれています。

岩崎弥太郎と坂本龍馬といえば、何と言っても『龍馬伝』を思い出しますよね。

慶応3(1867)年、岩崎弥太郎は、長崎の土佐商会で会計を任されるようになります。

土佐商会とは、長崎にあり、土佐藩の貿易の出張所のようなところでした。武器を買い入れたり、また藩の物販を売っていたりしました。

同じ頃、坂本龍馬は、脱藩を土佐藩に許され、慶応3(1867)年の4月には、海援隊の隊長になりました。

それまで、薩摩藩から援助を受けていた亀山社中が海援隊と名前を変え、土佐藩の外郭の機関になることに。海援隊は、普段は貿易を営んでいますが、もしもの時は、土佐藩の戦力として協力するといった関係でした。

坂本龍馬は、藩士ではなく、浪人という自由な立ち位置を選びました。こんな身分が絶対の時代にかなり革新的な新しい働き方ですよね。

岩崎弥太郎は、立場上、海援隊の会計も任されるようになります。

龍馬のためにお金を準備したりと、弥太郎と龍馬は、酒を酌み交わすような仲になっていくようですね。

『龍馬伝』では、岩崎弥太郎と坂本龍馬は、幼馴染として描かれていますが、実際には、この頃に、初めて顔を合わせることになるようです。

お互い、共通の知り合いも多かった、龍馬と弥太郎。出会う前は、どんな人物を思い描いていたのでしょうね。SNSもない当時の世の中では、手紙や人からの噂や評判などの情報になりますものね。

そして、龍馬の志を継いで、明治の世に、三菱の創設に引き継いでいくことになるのです。




龍馬伝の岩崎弥太郎役は、香川照之さん 龍馬伝の岩崎弥太郎の子役は?

NHK大河ドラマでは、1968年の『竜馬がゆく』、2010年の『龍馬伝』に岩崎弥太郎は、登場しています。

特に2010年の『龍馬伝』の岩崎弥太郎役は、記憶に残っておられる方も多いのではないでしょうか?

香川照之さんの演じる岩崎弥太郎は、強烈な印象を残しましたね。

ちなみに『龍馬伝』で坂本龍馬の子役は、濱田龍臣さんですが、岩崎弥太郎の子役は、渡邉甚平さんです。

渡邉甚平さんは、その後もドラマやCMで活躍。学業や部活動のために、活動を休止されていた期間もあったようですが、また活動を再開されています。今後の活躍が期待される若手の俳優さんです。




岩崎弥太郎の死因・お墓は?

岩崎弥太郎は、明治18(1885)年2月7日に亡くなります。50歳でした。死因は、胃がんでした。

岩崎弥太郎の墓は、以前は、染井霊園の中にあったのですが、現在は、三菱の敷地に移転しています。一般公開はされておらず、非公開です。




岩崎弥太郎の生家は、カフェ? アクセスは?

岩崎弥太郎の生家は、高知県安芸市の郊外にあります。

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の安芸駅からは、車で10分ほどのところにあります。

バスでは、15分ほどで、一ノ宮で下車して、徒歩2分ぐらいです。見学時間は、8時〜17時までです。

昭和60年に、生誕150年を記念して建てられた銅像が、現在、岩崎彌太郎生家前に、移され、建っています。

そして、岩崎弥太郎の生家の前には、『まる弥カフェ』というおしゃれなカフェがあります。

『まる弥カフェ』は、地元、土佐の食材を使ったスイーツや食事のメニューが人気です。

オリジナルなお土産も販売されているそうですよ。

土佐に行ったら、ぜひ、訪れてみたいですね。




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