大河ドラマ『青天を衝け』では、渋沢栄一のいとこでもあり、親友でもある渋沢成一郎(渋沢喜作)。
もう一人の主人公と言ってもいいぐらいの重要な人物ですよね。渋沢栄一とは、切っても切れない関係、まさに渋沢成一郎あっての渋沢栄一と言ってもいいぐらいの存在ではないでしょうか。
ずっと渋沢栄一と共に行動をし、二人とも、一橋家に仕官。
その後は、渋沢栄一がパリに行き、その間、渋沢喜作は、日本で、歴史の動乱の中に巻き込まれていきます。
そんな渋沢成一郎とは、どんな人物なのでしょうか?
<#青天を衝け 登場人物紹介>
渋沢一族の一家、「新屋敷」の長男。栄一より2歳上で、幼なじみとして育ち、生涯の相棒となる。直情的だが情に厚く、弁が立つ知性派の栄一とは正反対の性格。幕末の混乱の中で彰義隊を結成し、栄一とは異なる道を歩む。 pic.twitter.com/GS3O1AZxX9
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) December 17, 2020
渋沢成一郎(渋沢喜作)とは、どんな人? 家系図・妻は?
渋沢成一郎(渋沢喜作)は、天保9(1838)年生まれです。従兄弟の渋沢栄一とは、2歳差。ほぼ同年代になりますね。武蔵国の血洗島村の出身です。
渋沢成一郎の家系図ですが、父は、渋沢文左衛門(文平)。渋沢文左衛門は、渋沢栄一の父である渋沢市郎右衛門(元助)(演・小林薫さん)のお兄さんになります。
渋沢成一郎の妻は、よし。福田立志という人の次女になります。
大河ドラマ『青天を衝け』の中では、妻のよしを、成海璃子さんが演じておられ、そこにいるだけで、周囲が明るくなるような、とても可愛らしい奥さんですよね。
よしは、1840年生まれということで、喜作よりも2歳年下になります。
ちなみに、よしと、渋沢栄一の奥さんである千代(演・橋本愛さん)とは、1歳違い。旦那様同士だけではなく、嫁同士も同世代なので、千代とよしは、きっと、良き話し相手で、仲が良かったんじゃないかなあと、想像すると楽しいですよね。
渋沢成一郎は、青年時代は、渋沢栄一と行動を共にしていました。高崎城乗っ取り計画や横浜焼き討ち計画を諦め、栄一と江戸、京都へと逃れましたよね。
そして、栄一とともに、一橋慶喜に仕え、幕臣となっていくのです。
慶応3(1867)年には、渋沢成一郎は、将軍、徳川慶喜の奥祐筆となり、上京します。
渋沢成一郎(渋沢喜作)と土方歳三との関係は? 箱館戦争でも活躍
大河ドラマ『青天を衝け』では、渋沢栄一がパリに行っている間、渋沢成一郎は、どうしていたのでしょうか?
日本では、徳川慶喜が大政奉還。慶応4(1868)年、1月に戊辰戦争が起こりました。渋沢成一郎は、鳥羽・伏見の戦いに参加します。
徳川慶喜は、大阪を離れ、上野・寛永寺に蟄居しました。
渋沢成一郎も、その後、江戸に戻り、将軍警護を唱え、彰義隊を結成。その頭取となります。副頭取には、天野八郎。幹事には、須永虎之助(須永伝蔵)もいました。
しかし、江戸城が明け渡され、徳川慶喜が江戸から水戸へと謹慎の場所を移動したことにより、上野から撤退しようと言います。渋沢成一郎は、天野八郎と意見が合わずに、彰義隊を脱退し、後、振武軍を結成します。
慶応4(1868)年、5月、武蔵国入間郡飯能の能仁寺に本陣を移します。そこで、新政府軍を迎え撃つことに。官軍との飯能戦争が起こります。
渋沢成一郎は、敗走し、上州の伊香保に逃れます。そして、草津にて、潜伏。
そして、渋沢成一郎は、榎本武揚が率いている旧幕府軍に加わります。
さらに、振武軍と彰義隊の残党たちを集結させて、新たに「彰義隊」を結成。頭取に就任します。
そして、蝦夷地へと行き、箱館戦争に参加するのです。
ここでは、土方歳三とともに戦うことになります。以前、大河ドラマ『青天を衝け』第20回『篤大夫、青天の霹靂』で、謀反人を捕縛する際に、渋沢栄一と土方歳三が協力する回がありました。その後、土方と成一郎が対面し、土方が渋沢成一郎に「渋沢と申されるのか」と、言ったのは、この後の伏線だったのでしょうね。
ところが、松前城攻撃の時に、彰義隊に亀裂が。渋沢派と反渋沢派が対立してしまうのです。
榎本武揚が仲裁に入ることで、渋沢派は、小彰義隊と名乗り、渋沢成一郎が頭取に就任します。渋沢成一郎は、湯の川温泉の方面に陣を張ります。
箱館戦争が終わろうとする直前に、渋沢成一郎は、旧幕府軍を脱走し、投降し、東京の軍務官糾問所に投獄されました。
渋沢成一郎(渋沢喜作)の死因、子孫は? 墓は祐天寺
その後、渋沢成一郎は、渋沢栄一を身元引受人として、出所します。出仕後は養蚕製糸事業の調査で渡欧するなどしましたが、帰国後の明治6(1873)年に、栄一にならって退職します。
渋沢栄一の推薦により、大蔵省勧農寮へ出仕します。そして、イタリアやスイス、フランスへと派遣されます。ヨーロッパへ赴いたのは、養蚕事業のためでした。ヨーロッパから帰国後に、渋沢栄一が退官したのをうけて、自らも大蔵省を退官。栄一の推薦もあり、小野組に入社することになります。小野組は、屋号を井筒屋という江戸時代からの豪商です。糸割符、両替商として江戸に進出していました。
その小野組が破産してしまい、その後、明治8(1875)年に、渋沢商店を創立します。
渋沢成一郎は、東京の深川で、回米問屋、横浜では、生糸の売込問屋を経営しました。
その後、米相場での損失、また、数年後に、生糸の換金取引でも、多額の損失を出し、渋沢栄一の援助を受けることになります。
その一方で、東京商法会議所設立の発起人や、澁澤倉庫、東京人造肥料会社、北海道製麻株式会社、東京商品取引所、十勝開墾合資会社などに携わり、渋沢栄一と共に、日本の経済に尽力していくのです。
子孫には、長男の作太郎、次男の仁之助、三男の義一(千葉家に婿養子へ)、四男の信一がいます。作太郎は、『青天を衝け』の中でも時々、名前が出てきていますね。作太郎は、渋沢商店を継ぐのですが、明治43(1910)年に、渋沢成一郎よりも先に亡くなってしまいます。そこで、渋沢商店は、三男の義一が継ぐことになります。
渋沢成一郎は、明治36(1903)年に財界を引退。大正元(1912)年に75歳で亡くなります。死因は、病死。老衰だと言われています。
白金台で余生を過ごした渋沢成一郎。その邸宅は、現在では、八芳園という結婚式場、レストランになっています。
渋沢栄一は、渋沢成一郎のことを弔辞で、『一身分体の間柄』と言っていたとのことです。「一身分体」、体は、分かれているけど、心は一つ。渋沢成一郎は、少し、ギャンブラー的な気質もあり、少しずつ実直に進んでいく、栄一とは違って、一足飛びにやっていこうとする性格だったとか。
大河ドラマ『青天を衝け』の中でも、高良健吾さんが演じる渋沢成一郎の自由奔放さが伝わってきて、とても魅力的な人物だなあと感じます。
渋沢栄一とは、生涯の盟友だったのですね。渋沢栄一あっての渋沢喜作ということだけではなく、渋沢喜作あっての渋沢栄一というのも言えるのではないでしょうか。
渋沢栄一が91歳という昭和まで生きているので、75歳で、亡くなるには、早いと思ってしまいますが、当時からすると、とても長生きされたのですね。渋沢成一郎の墓所は、祐天寺です。
大河ドラマ『青天を衝け』だけではなく、幕末のドラマを見ていると、維新の前後で、亡くなる志士も多いので、渋沢喜作は、ドラマの最後まで、見られるんだなあと思うと、ちょっとホッとしました。
渋沢成一郎役のキャストは、高良健吾さん 黒島結菜との関係は? 彼女は?
そんな渋沢成一郎(渋沢喜作)を演じるのは、高良健吾さんです。
高良健吾さんは、1987年11月12日生まれの33歳、熊本市の出身、身長は、176センチというイケメン俳優さんです。
代表作は、『蛇にピアス』。アマ役は、話題になりました。また、フジテレビの月9『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』では、有村架純さんと共演。素敵なドラマでしたよね。
高良健吾さんは、今までにも多数のドラマや映画などの出演作品で活躍されていますが、大河ドラマ出演は、『花燃ゆ』に続いて、今回が2回目。『花燃ゆ』では、高杉晋作を演じました。高杉晋作と言えば、長州藩の幕末の志士ですから、今回の渋沢成一郎とは、違う立場の人物になりますね。
幕末のドラマは、幕府側と新政府側、どちらかの視点で描かれることが多いですが、観ているだけでも、見方が変わってきます。実際に、それぞれ、違う考えの人物を演じるとなると、色々と感じるものがあるでしょうね。
『花燃ゆ』の高杉晋作は、主人公の文(演・井上真央さん)とも、近しい描かれ方で、文の夫、久坂玄瑞とは、共に松下村塾四天王(高杉晋作・久坂玄瑞・吉田稔麿・入江九一)と呼ばれました。
その時に、高杉晋作と結婚した妻役の雅を演じていたのが、黒島結菜さんです。
黒島結菜さんとは、その後、高良健吾さんの彼女ではないかと熱愛報道がありました。高良健吾さんは、イケメン、黒島結菜さんもとても美しいという、美男美女ですものね。映画『カツベン!』でも共演されています。
また、高良健吾さんは、NHKの朝ドラでも大活躍。『おひさま』や『べっぴんさん』でも重要な役どころで出演されています。そういえば、黒島結菜さんは、2022年前期の朝ドラの『ちむどんどん』のヒロインにも選ばれていますね。こちらも楽しみです。
高良健吾さんは、『青天を衝け』のインタビューの中で、維新後、幼馴染としてやってきた渋沢栄一に、自身が演ずる渋沢成一郎が、「栄一には、かなわないなあ」と思う時がやってきた時の、成一郎の気持ちの描かれ方が、気になると語っておられます。
高良健吾さんの演じる渋沢成一郎(渋沢喜作)のこれからの活躍から、目が離せませんね。