大河ドラマ『青天を衝け』も、いよいよ明治へ。
本日は、幕末から、明治維新後に活躍した伊藤博文について、書きたいと思います。
伊藤博文といえば、初代総理大臣。ドラマや小説、映画にもよく登場しますよね。一体どんな人だったのか、わかりやすく知りたいですよね。
『青天を衝け』では、第17回に井上馨と少し登場しましたが、ドラマでの本格的な活躍は、これからのようです。
🔵第17回より登場
<#青天を衝け 登場人物>
攘夷派の志士であったが、井上聞多と共にロンドンに留学してから一転、開国論者に。維新後は新政府に出仕し、大蔵少輔として栄一の上司に。主に貨幣制度の改革に注力した。やがて初代内閣総理大臣に出世する。 pic.twitter.com/vI9JLmQ1vz
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) June 5, 2021
伊藤博文とは、どんな人? 伊藤博文の生い立ち、若い頃は?
伊藤博文は、天保12(1841)年に周防国の農民の長男として生まれました。渋沢栄一より、一歳年下になりますね。幼名は、利助といいました。
伊藤博文の幼い頃は、貧しかったのです。父が破産して、出稼ぎに行ったり、そのために、伊藤博文は、母と共に、母の実家に住むことになったりと、苦労したようです。その後、父もまじえて、萩で一家で住むことになりました。そして、父が長州藩の足軽である伊藤家の養子となったため、伊藤博文も足軽の子となりました。百姓から、武士になることができたのです。
安政4(1857)年に、江戸湾の警備を命じられ、浦賀の警備についていた時に、上司の紹介により、松下村塾に入塾することになります。そう、あの吉田松陰の松下村塾です。ここで、吉田松陰に見出され、吉田松陰から、俊英の俊という字をもらい、俊輔と名乗ることになります。
松下村塾には、友人の吉田稔麿などもいましたが、俊輔は、身分が低いこともあり、塾の建物の中には、入れずに、外で、立った状態で、講義を聴いていたとのことです。
ちなみに吉田稔麿は、長州藩の足軽の子。松下村塾のことが詳しく描かれた大河ドラマ『花燃ゆ』では、瀬戸康史さんが演じておられました。吉田稔麿は、残念ながら、池田屋事件があった際に、23歳で、命を落とします。
松下村塾には、高杉晋作、久坂玄瑞らなど幕末を代表する志士らがいました。伊藤博文は、吉田松陰の推薦で、長州藩の京都派遣に随行したり、桂小五郎の従者となって、江戸に住み、尊王攘夷運動へと傾倒していきます。ところが安政5(1858)年の10月に、安政の大獄で、吉田松陰が斬首されてしまうのでした。
伊藤博文は、文久3(1863)年、イギリスに留学します。22歳の時でした。井上馨をはじめ、遠藤勤助、山尾庸三、野村弥吉と長州五傑とともに渡航します。いわゆる長州ファイブですね。この頃、イギリスは遠く、上海経由で、4ヶ月もかかったそう。渋沢栄一が『青天を衝け』でパリへ渡航する時も長旅でしたよね。
伊藤博文は、ロンドンで、英語を学びました。また、イギリスの様々な近代的な施設を目にしたのです。それは、工場や海軍施設といった軍備や経済に関わることから、博物館や美術館といった文化的なものにも及び、日本では、体験することができない、様々な見聞を広めたのです。長年、鎖国をして、海外とは、ほとんど接触がなかった日本の文化とは、あまりにも違いがあったのでしょう。その海外の他国との差にも愕然とした伊藤博文は、一転して、開国論に転じることになります。
その半年後の元治元(1864)年、3月に、長州藩が外国船を砲撃、4カ国連合艦隊(アメリカ・イギリス・フランス・オランダ)が長州藩を攻撃すると聞き、井上馨と大急ぎで、帰国をしました。伊藤博文と井上馨は、何とか、この戦争を食い止めようとしたものの、英国公使のオールコックと通訳であるアーネスト・サトウと会見したのですが、結局、4国連合艦隊は、下関を砲撃。下関戦争が起こります。なお和平の時は、伊藤博文が通訳を務めています。
この後、伊藤博文と井上馨は、長州藩の外国対応応接係を担当することになります。しかし、下関戦争や禁門の変での損害もあり、藩内では、攘夷派と幕府への恭順を掲げる派閥との内部争いが起こります。盟友、井上馨は、幕府側の者たちの襲撃により、重傷を負ってしまいます。
その後、伊藤博文は、高杉晋作の挙兵に駆けつけたり、桂小五郎の要請もあり、薩摩藩や外国との武器の交渉などの仕事がメインとなり、戊辰戦争には加わりませんでした。
また、神戸事件や堺事件を解決したことで、評価が上がりました。
明治維新後の伊藤博文の功績は? 初代兵庫県知事など
明治維新後に、その名を伊藤博文と改めます。明治新政府では、英語に堪能であることを評価され、参与、外国事務局判事などの様々な役職に就きます。実は、初代兵庫県知事でもあるんですよ。
さらに明治4(1871)年に岩倉使節団の一員として、アメリカに渡ります。岩倉使節団は、不平等条約の改正の交渉のために、岩倉具視を全権大使とした使節団です。伊藤博文は、副使を務めました。この時、伊藤博文は、30歳でした。
使節団のメンバーは、木戸孝允や、大久保利通、他にも、同志社大学を創設した新島襄や、女子留学生の津田梅子らも参加していました。アメリカに渡った後、イギリスやフランス、イタリアやドイツ、ロシアといった欧米の12カ国を訪問し、1873年には、ウィーンで開かれていた万博も視察しました。この万博には、日本も出品をしていたとのことです。
このウィーン万博が開かれたのは、渋沢栄一らが訪れたパリ万博の6年後になります。
現在でもヨーロッパへ海外旅行というと、ちょっとした非日常なのに、この時代の人たちは、船で、何日もかけて、まるで、別の世界に行くような感覚だったのでしょうね。
そして、西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允などが亡くなると、若い伊藤博文は、日本の政治の中心を担っていくことになるのです。
初代内閣総理大臣 大日本国憲法 ハルビンで暗殺
明治18(1885)年、伊藤博文は、日本の初代内閣総理大臣に就任しました。44歳の時です。その後、首相を4度も務めます。
この44歳という年齢は、2021年現在でも最年少だということです。総理大臣って、どうも、ご高齢の方が務められるイメージがあったのですが、初代の総理大臣の就任した年齢は、若かったのですね。
また、伊藤博文は、ドイツの憲法を手本にした憲法草案を進めます。伊藤博文は、ヨーロッパへと渡り、欧州の各国の憲法を調査していく中で、プロイセン(ドイツ)の憲法を模範にしてはどうかと考えました。皇帝の権限が強く、議会の権限は強くないという点に着目したのです。皇帝の権限というのが、日本では、天皇ということです。伊藤博文は、日本に帰った後、伊東巳代治や井上毅、金子堅太郎らと憲法を作っていきました。その後、枢密院での審議され、明治22(1889)年2月11日に発布されました。
また、伊藤博文は、初代韓国統監などを歴任しました。
明治42(1909)年、ハルビン駅で、安重根に暗殺されます。68歳でした。
千円札になった伊藤博文
伊藤博文とは、千円札にもなった人物です。伊藤博文がお札になった時期は、昭和38(1963)年11月1日〜昭和61(1986)年の1月4日まで発行されていたということなので、実際に使ったことがある人や、使ったことはないけれど、見たことがある人も多いと思います。
そういえば、『青天を衝け』には、新一万円札となる渋沢栄一、かつての五百円札の岩倉具視といったお札になったメンバーがチラホラいますね。
昔は、偽造防止のため、髭やシワのある人が選ばれることが多かったそうです。現在は、技術が進歩して、髭のない男性や、女性の肖像も見られるようになりました。
お札で肖像を見たことがあっても「何をした人だろう?」と、わからない人物もいたりするので、ドラマや小説などで、その功績を知るのは面白いですね。
伊藤博文を大河ドラマで演じた俳優は?
伊藤博文がこれまで大河ドラマに登場した回数は、13回。やはり、幕末から明治にかけて、外せない人物なので、多いですね。他にもさまざまなドラマ作品にも登場していますが、ここでは、大河ドラマにしぼって書きたいと思います。
伊藤博文は、幕末の時点では、まだ若く、身分もそう高くなかったことから、演じる俳優さんも大御所や、メインを張るイケメンといった俳優さんではないような気がします。なので、山崎育三郎さんが演じられると知った時は、今回の伊藤博文は、かなりイケメンだなと思ってしまいました。
ちなみに今まで伊藤博文を演じた俳優さんで、印象深かった人を振り返ってみます。まずは、『翔ぶが如く』の小倉久寛さん。『龍馬伝』の尾上寛之さん、『西郷どん』と『いだてん』の浜野謙太さんといった癒し系の俳優さんや、『八重の桜』の加藤虎ノ介さんという脇を固めるタイプの俳優さんもいらっしゃいました。また、『花燃ゆ』では、劇団ひとりさんが演じられていて、様々なタイプの俳優さんが演じておられます。その俳優さんによって、違ったタイプの伊藤博文が観られるのが面白いです。
歴史上の人物って、実際、観たり、会ったことがないわけで、いろいろな物語を通して、どんな人だったのだろうと、想像するのって楽しいですよね。ドラマによって、頭の中で出来上がったイメージを、また覆されたりというのも作品を楽しむ醍醐味かなあと思ったりします。
『青天を衝け』の伊藤博文役は、山崎育三郎さん
大河ドラマ『青天をつけ』で、伊藤博文を演じるのは、俳優の山崎育三郎さんです。ミュージカル界のプリンスとして有名で、テレビドラマや映画などでも俳優として活躍されています。
山崎育三郎さんがNHKで出演された番組として、記憶に新しいのは、NHK朝ドラの『エール』ですよね。
『エール』は、2020年にNHKで放送された朝ドラです。『エール』の主人公は、作曲家・古関裕而をモデルとした古山裕一(演・窪田正孝さん)。古関裕而は、『オリンピックマーチ』や『六甲おろし』『闘魂こめて』『スポーツ行進曲』など、今も私たちに、馴染みのある曲をたくさん作っておられますよね。
山崎育三郎さんは、古山裕一の福島の幼馴染の佐藤久志を演じました。佐藤久志は、古関裕而の親友である伊藤久男という歌手がモデルです。
ドラマの中で、古関裕而が作曲した『栄冠は君に輝く』を歌うシーンがあった山崎育三郎さん。
ドラマの中で流れた時は、ドラマの内容とぴったりと合ったこともあり、本当に感動するシーンでした。
そして、2020年夏に甲子園で、『栄冠は君に輝く』を歌う予定だったのですが、ご存知の通り、昨年の夏は、新型コロナウイルスの影響で、選手権大会は、中止になってしまったのです。
そして、今年、2021年の開会式で、山崎育三郎さんは、『栄冠は君に輝く』を熱唱されました。
美しく、熱い熱いがこもった歌声は、テレビの前で聞いても、素晴らしかったですし、何より、高校球児の方々の心に届いたのではないでしょうか。
とても素晴らしい開会式でしたよね。
そんな山崎幾三郎さんですが、子供の頃には、野球選手になりたいという夢もあったそうです。
山崎育三郎さんの伊藤博文は、まだ現時点で、ほとんど出て来ていませんが、明治維新後は、たくさん登場すると思います。
山崎育三郎さんが演じられる伊藤博文がどんな伊藤博文なのか、楽しみですね!