大河ドラマ『青天を衝け』でも登場する徳川慶篤。
水戸藩主で、徳川慶喜の兄ですね。
名前は聞いたことがあるけれど、あまり、何をした人なのか、どんな人だったのか、よくわからないような気もしますよね。
今回は、徳川慶篤について、そして、徳川慶篤役の俳優の中島歩さんについてを書きたいと思います。
徳川慶篤はどんな人? 水戸藩主 第10代目
徳川慶篤は、天保3(1832)年に、江戸にある水戸藩上屋敷にて生まれました。第10代目の水戸藩主となります。
🔵第6回より登場!
<#青天を衝け 登場人物>
第9代水戸藩主・徳川斉昭の長男。斉昭が隠居を命じられ家督を相続するも、老公として君臨する父に振り回されがち。安政の大獄では登城禁止に処された。後に藩内で巻き起こる天狗党の乱を抑えることができず苦心する。 pic.twitter.com/tYy3fvuXwS
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) March 20, 2021
徳川慶篤の名前の読み方ですが、(とくがわ よしあつ)と読みます。官位は、従三位権中納言です。
徳川慶篤の父は、水戸藩主9代目の徳川斉昭。そうあの水戸の烈公です!大河ドラマ『青天を衝け』でも、竹中直人さんの徳川斉昭は、本人そっくりで、めちゃくちゃインパクトがありましたよね!
その徳川斉昭の長男で嫡男である徳川慶篤。最後の将軍・徳川慶喜とは、5歳違いです。慶篤と慶喜は、母親も同じで、吉子(登美宮)です。吉子は、原日出子さんが演じられていましたね。
徳川慶喜は、七郎麻呂という名の通り、斉昭の七男でしたね。徳川慶篤の幼名は鶴千代麿と言います。
大河ドラマ『青天を衝け』でも描かれていましたが、斉昭が軍事力の強化などの藩政改革に取り組んで、隠居を命じられたこともあり、弘化元(1844)年に、家督を相続しました。当時、まだ12歳。慶篤には、後見人がつけられました。その後、斉昭の謹慎が解かれたものの、後見人が解除され、斉昭が藩政に関われたのは、5年後のことでした。
嘉永5(1853)年に、徳川慶篤は、12代将軍の徳川家慶の養女、線姫と結婚しました。ちなみに線姫は、有栖川宮幟仁親王の第一王女です。
1858年になり、井伊直弼が大老となり幕府の実権を握ります。日米修好通商条約に調印した井伊直弼に反発した攘夷派である水戸藩の徳川斉昭と慶篤は、福井藩主、松平春嶽らとともに、江戸城に登って、井伊直弼を激しく詰問します。
ところが、藩主は、もともと江戸城に上がるには、決められた登城の日があるというのに、この日は、登城の日ではなかったということで、不時登城とされ、慶篤は、登城停止という処分をくらってしまいます。
その後、孝明天皇が、大老の井伊直弼が朝廷に無断で日米修好通商条約を結んだことに対して怒ります。そして水戸藩に密勅(戊午の密勅)というものを出します。これは、幕府の政治姿勢をなんとかせよというものでした。
これに対して、井伊直弼は、幕府の転覆を図るものの仕業と考えて、関係者である一橋派の弾圧を行っていきます。世に言う安政の大獄です。
徳川斉昭も永蟄居をという、いわゆる無期限の蟄居を命じられ、事実上の政治生命を絶たれてしまいます。(その後、徳川斉昭は、処分が解けないまま、1860年に死去します)
そして、水戸藩では、この勅書を返上することを進めるもの(諸生党)と、返上をしないことを押し通すもの(尊攘派)の二つのグループに分かれてしまうのです。
さらに尊攘派の志士たちが桜田門外の変で井伊直弼を暗殺、また坂下門外の変で安藤信正を襲うなどの事件を起こします。
慶篤は、こうした問題にも取り組まねばならず、側近である武田耕雲斎を起用して、尊攘派の懐柔を試みるのでした。
徳川慶篤は、よかろう様? 死因は?
元治元(1864)年に天狗党の乱が起こりました。
懐柔していたはずの武田耕雲斎は、その後、藤田小四郎らに担がれて、天狗党の首謀者となり、処刑されてしまいます。
天狗党の乱は、大河ドラマ『青天を衝け』でも描かれましたが、水戸藩の内部抗争もあり、大勢の人が処刑されるという、大変、悲しい事件でしたね。
その後、水戸藩は、混乱し、幕末までの約3年間、諸生党が水戸藩で実権を握ることとなるのでした。
そんな徳川慶篤は、家臣から、「よかろう」様と呼ばれていました。これは、天狗党と諸生党の内部の争いについて、どちらかに肩入れすることも難しく、板挟みになっていたため、家臣に対して「よかろう」と言っていたということです。
慶応4(1868)年、戊辰戦争の際、朝廷から諸生党を討伐せよとの命令が出ます。慶喜の助言もあり、慶篤は、諸生党を一掃させることに成功。尊攘派を復帰させます。このおかげで、水戸藩は、朝敵にならずに済んだのでした。
この後すぐに徳川慶篤は、亡くなります。37歳という短い生涯でした。
徳川慶篤の死因は、病死とされています。幕末に水戸藩主として、また天狗党や諸生党のことなど、苦労が絶えなかったと思われます。
幕末の歴史上の人物の中では、一見、地味で、特に何かしたわけではないようにも見えますが、水戸藩を取りまとめるのは、苦難の連続だったのではないでしょうか。
そんな慶篤の人生を見ていると、弟、慶喜との絆が見え隠れするような気がしますね。
ところで、徳川慶篤の大河ドラマ登場回数は、5回目になります。
過去には、『花の生涯』、『翔ぶが如く』、『徳川慶喜』『八重の桜』、そして、今回の『青天を衝け』です。
やはり、幕末の水戸藩や、また第15代将軍・徳川慶喜を描くのには、はずせない人物ですよね。
演じている役者さんも『徳川慶喜』では、内野聖陽さんが、『八重の桜』では、杉浦太陽さんという人気の俳優さんが演じられています。
特に『徳川慶喜』は、今から、23年前の作品になるので、若き日の内野聖陽さんを見てみたい気がしますね。
徳川慶篤役、中島歩さんのプロフィール 国木田独歩の子孫
そんな徳川慶篤を演じるのは、中島歩(なかじまあゆむ)さんです。
中島歩さんは、1988年 10月7日生まれの宮城県出身の俳優さんで、東京にて育ちました。
実は、この中島歩さん、明治時代に活躍した小説家、国木田独歩の子孫なんです!玄孫に当たります。
国木田独歩といえば、『武蔵野』『牛肉と馬鈴薯』などがあって、文学史にも出てくる有名な作家ですよね。『文豪ストレイドックズ』にも出てきますよね。そんな有名な人の子孫なので、驚きました!
お名前の歩(あゆむ)さんも国木田独歩から、来ているそうです。ちなみに国木田独歩の写真は、かなりのイケメンで、中島さんにちょっと似てるような気がしないでもないですね。
東京都立小石川高校から、日本大学芸術学部文芸学科に進みます。
文芸学科というのも、文豪の子孫というのに、ぴったりですよね!中学と高校の国語の教員免許を持っておられるらしく、こんな先生がいたらいいなあって思いますよね。
一方で、中学までは、サッカー、高校時代は、バレー部に所属というスポーツマンでもあります。
大学時代は、落語研究会に入り、モデルの活動をされていたということです。
イケメンでかっこいいので、結婚の噂も気になる中島歩さんですが、まだ独身のようです。
初舞台は美輪明宏さん主演の『黒蜥蜴』、『花子とアン』、『死役所』で独特の存在感
そして、2004年に美輪明宏さん主演の舞台『黒蜥蜴』の雨宮潤一役のオーディションに受かり、デビューをします。200名の中から選ばれたという中島歩さん。デビュー作が江戸川乱歩の『黒蜥蜴』というのも、文豪の子孫っぽくていいですね。
この作品では、中島歩さんは、「降ろされる直前までいっていた」と語っており、初めての舞台に、とても苦労されたのですが、そんな困難を乗り越えられたのも美輪明宏さんのおかげだと、感謝しているとのことです。
そして、何より、朝ドラ『花子とアン』への登場が衝撃的なものでした。
この時、『花子とアン』の中で、ヒロインである花子の親友の蓮子(モデルは柳原白蓮・演 仲間由紀恵さん)の恋人役で駆け落ち相手である宮本龍一という難しい役を演じられました。かなりインパクトのある登場と役柄で、今でも思い出される方がいらっしゃるかもしれません。
このドラマは、中島歩さんだけではなく、今回の大河ドラマ『青天を衝け』の土方歳三役の町田啓太さんも登場していました。
また、中島歩さんは、2015年には、初主演映画『グッド・ストライプス』という映画にも出演されています。
先ほど、結婚はまだされていないということでしたが、中島歩さんが結婚されているかどうか、木になるファンの方は多いようです。
実は、『グッド・ストライプ』で、ダブル主演だった菊池亜希子さんと、夫婦役として、妊娠・結婚・出産を歩んでいくというラブストーリー演じているので、結婚という話題が出てきているのかもしれませんね。
さらに人気が高いのは、ドラマ『市役所』。第6話に登場して、ジャニーズWESTの重岡大毅さんとお笑いコンビを演じるという役柄でした。こんなイケメン同士のお笑いコンビ、実際にも組んで欲しいですよね!
そして、今回の大河ドラマ『青天を衝け』の徳川慶篤役。中島歩さんの今後の活動にも注目ですね。
コメント