大河ドラマ『青天を衝け』も時代は、江戸から明治へ。
渋沢栄一もパリから帰ってきて、変わってしまった日本に驚いていましたね。
「商人のまことの戦いは、これからだ」という謎の人物、三野村利左衛門が登場しました。
ちょっと謎めいて、気になる三野村利左衛門。これからのドラマの展開で、重要な人物になってきそうですよね。
今回は、そんな三野村利左衛門について、書こうと思います。
🔵第25回より登場
<#青天を衝け 登場人物>
両替商として頭角を現して、三井組の番頭へと出世。三井組は栄一の強い要望に折れ、第一国立銀行の共同株主となる。栄一と対立してもふらっと渋沢家にやってくる、神出鬼没で食えない商人。 pic.twitter.com/MlokEzoqVK
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) August 21, 2021
三野村利左衛門の生涯は? 三野村利左衛門とは、どんな人?
三野村利左衛門は、文政4(1821)年の生まれです。幼名は、伝わっていないようです。
祖父は、庄内藩士の関口正右衛門、父は、正右衛門の三男の関口松三郎です。
父・松三郎は、木村家という家に養子に入っています。
文政10(1827)年、利左衛門が7歳になった頃のことです。父が木村家を出て、浪人になり、利左衛門や利左衛門の姉と共に、親子で諸国を放浪の身となります。利左衛門は、幼い頃から、大変な苦労をしたのですね。父の松三郎は、宮崎で亡くなったとされています。
父が亡くなった後は、14歳で、京都に出て、天保10(1839)年、19歳の時に、江戸に出ます。深川の丸屋という鰯の干物問屋に住み込みで奉公をします。
地道に真面目に働いていた利左衛門は、評判になり、小栗忠高の元で仲間奉公することになります。
小栗忠高は、小栗忠順の父になります。三野村利左衛門と、小栗忠順は、6歳違い。この時に、三野村利左衛門と小栗忠順は、主従の関係として、親しくなったようですね。
弘化2(1845)年に、25歳の頃、利左衛門は、紀ノ国屋の美野川利八という人の婿養子となります。利八は、菜種油や砂糖を販売していました。そこで、利左衛門は、利八の名を継ぎます。養子先も決して、裕福とは言えず、妻のかなが作った金平糖を利左衛門が行商をするなどして、資金を蓄えていきます。
安政2(1855)年、利左衛門は、蓄えた資金で、株を買い、両替商となります。地道に働いてきた成果が出たのですね。また、周りの人から好かれる性格であったことから、出入りしていた三井家の番頭さんたちからも可愛がられていたそうです。
万延元(1860)年、小栗忠順から、情報をもらい、天保小判を買い占めます。そして、買い集めた天保小判を担保にすることで、お金を借りて、さらにその資金で、また天保小判を買い集めることにより、巨額の利益を得ます。このことで、利左衛門の名は、一気に有名になります。
慶応2(1866)年、三井家から、利左衛門に幕府との交渉役の依頼が舞い込みます。利左衛門の名は、あの三井家にも届いていたのです。
これは、幕府から、多額の御用金が課された三井家が、利左衛門と幕府の勘定奉行である小栗忠順に親交があることに、目をつけ、白羽の矢を立てたものです。
三井家は、金利の低下などにより資金繰りがうまくいっていませんでした。利左衛門は、このことを元勘定組頭・小田信太郎を通し、小栗忠順に伝え、説得します。懸命の嘆願が実り、御用金の50両のうちの18万円を分納、残額を免除してもらうという減免の交渉を見事に成功させます。この後、幕府から、三井家には、御用金を課されることは、ありませんでした。
利左衛門は、三井家を救ったこともあり、三井家から、絶大なる信頼を得ました。これを機に、小栗からの要請もあり、三井家で、働くことになります。小栗と三井の間の交渉役としての地位を固めます。
そして、この時に、名前を『三野村利左衛門』と改めています。この名前は、三井家の「三」と紀ノ国屋の美野川家の「野」、そして、父、松三郎が養子に入った木村家の「村」から名付けたとされています。
この「三」「野」「村」を、ゆかりのある、それぞれの名前から取ったという話は、とても義理堅い人情味のある人間像が浮かんできますよね。
ちなみに、かつての主君だった小栗忠順が処刑された後、小栗忠順の妻子のために、深川に家を用意したという話も伝わっています。
慶応4(1868)年、1月に小栗忠順が失脚します。この時、三野村利左衛門は、なんと、三井組に、新政府への資金調達を始めるように、アドバイスします。幕府側につくか、新政府側につくかという大きな歴史の流れを見事に見極め、その確かな目は、三井を救うことになったのです。
小栗忠順については、こちらをどうぞ。
三野村利左衛門と渋沢栄一との関係は? 三野村利左衛門の死因は? 三井の大番頭
一人の商売人から、三井の大番頭に上り詰めた三野村利左衛門。
明治維新後、利左衛門は、銀行の設立に尽力します。三井組は、単独で銀行を設立したかったのですが、明治政府も銀行の設立を目指していました。当時、大蔵省で国立銀行の準備の仕事に携わっていた渋沢栄一は、三井組と小野組が共同で、銀行を設立することを提案します。
大河ドラマ『青天を衝け』では、小野組の番頭である小野全右衛門を小倉久寛さんが演じられています。
そして、明治6(1973)年に、三井組と小野組による「第一国立銀行」を発足します。
翌、明治7(1874)年に、小野組が破綻し、第一国立銀行から手を引きます。三井にとっては、ピンチと言えそうなのですが、これをうまくチャンスに変えた利左衛門は、その2年後の明治9(1876)年、三井銀行を開業します。これは、日本初の民間銀行でした。
銀行というネーミングの由来には、いろいろな説があるようですが、その一つとして、「バンク」を訳す際に、渋沢栄一が「洋行」に「金」という文字をを加え「金行」、対して、三野村が「交換取り扱いに銀が含まれる」と言ったところから、「銀行」となったというエピソードがあります。
銀行設立という念願が叶った利左衛門ですが、その頃、彼には、病魔が襲っていました。病床の身の利左衛門は、三井銀行の開業式典にも出席出来なかったのです。
明治10(1877)年に、利左衛門は、57歳でこの世を去りました。死因は、胃癌でした。
三井銀行は、婿養子の三野村利助が実質的経営者となって、引き継ぐことになるのです。
『あさが来た』にも描かれた幕末の「三井」 ヒロインは波瑠
NHKの朝ドラでも大人気だった2015年下半期放送の『あさが来た』。女優の波瑠さんの主演で、記憶に残っていらっしゃる方も多いと思います。
もう、『あさが来た』というタイトルを聞くだけで、オープニングの『365日の紙飛行機』が頭の中を流れてしまうという方もいらっしゃるのではないでしょうか?
とても面白くて、私も大好きな朝ドラでした。
実は、この『あさが来た』のヒロイン、波瑠さん演じる白岡あさは、三井家の出身なんです!
白岡あさのモデルは、大阪で活躍した実業家で、教育者でもあった広岡浅子です。
実は、広岡浅子は、京都の豪商である小石川三井家の三井高益の四女として生まれたんです。そう、あさの実家は、三井家だったんです。
朝ドラの歴史の中で、実家が一番のお金持ちのヒロインと話題になりましたよね。
ドラマは、安政4(1857)年の幕末から始まります。ちょうど、『青天を衝け』の時代と被りますね。
ドラマの中で、あさは、大阪の豪商・加野屋(モデルは、加島屋)の玉木宏さん演じる白岡新次郎(モデル・広岡信五郎)の元に嫁ぎます。幕末の頃は、実家の今井家(モデル・三井家)が幕府からの御用金のため、資金繰りに逼迫していたり、嫁ぎ先の加野屋に新選組がお金を借りに来たりというシーンが描かれていました。
ちなみにこの『あさが来た』は、あさの実家の今井家(モデル・三井家)よりも、加野屋(モデル・加島屋)の方がよく登場するのですが、加野屋の両替屋の店の様子がよく描かれているのが興味深いです。大番頭さんや中番頭さんといった加野屋で働く人たちも描かれますし、当時を知るイメージとして、最適ですね。
三野村利左衛門役は、イッセー尾形さん
そんな三野村利左衛門を演じるのがイッセー尾形さんです。もう登場シーンから、とても気になる人物として、引き込まれてしまいましたよね。
イッセー尾形さんの本名は、尾形一茂さん。お名前の読み方が、「おがたかずしげ」さんなのですが、見ての通り、本名を音読みにして、姓名を入れ替えられたのですね。
イッセー尾形さんといえば、「一人芝居」ですよね!
イッセー尾形さんは、福岡県出身の69歳です。九州にお住まいだったのですが、小学校3年生から、東京に引っ越されました。
イッセー尾形さんの大河ドラマ出演回数は、今回で、4回目となります、過去には、『独眼竜政宗』『炎立つ』『いだてん〜東京オリムピック噺〜』に出演されました。『独眼竜政宗』という超人気の戦国ものから、『いだてん』という現代に近い話まで。さまざまなドラマに出ておられますね。
また、NHKの朝ドラにも4回出演されており、『凛々と』、『つばさ』、『まんぷく』、『スカーレット』といった人気作品でドラマをもり立てられました。特に『スカーレット』の主人公喜美子の師でもある「フカ先生」こと深野心仙役は、記憶に新しいのではないでしょうか? 「ええよぉ〜」という口癖が真っ先に思い浮かびますね。
ドラマ、映画、舞台と幅広く活躍されているイッセー尾形さん。今回の三野村利左衛門もきっと強烈な印象に残る登場人物になると思います。これからの登場が楽しみですね!