NHKの人気番組『グレーテルのかまど』で、6月7日(月)に『渋沢栄一のオートミール』が放送されました。
今回は、渋沢栄一も食べたというオートミールについてです。
大河ドラマ『青天を衝け』ファンなら、渋沢栄一関連のテレビ番組は、見逃せないですよね。
渋沢栄一のオートミール グレーテルのかまど 世界を変える朝ごはん
番組の進行は、もちろん、15代ヘンゼルの瀬戸康史さんと、かまどのキムラ緑子さんです。
渋沢栄一は、日本資本主義の父とも呼ばれています。もちろん大河ドラマ『青天を衝け』の主人公でもあり、2024年には、新紙幣、新一万円札のお札の肖像になることも決まっています。
渋沢栄一は、金融、製造、新聞、交通など、約500もの企業を設立、育成し、さらに、約600もの教育・社会公共事業に、携わりました。
番組では、渋沢栄一が、かつて住んでいた敷地に残る青淵文庫が紹介されていました。ここは、貴重な資料の場と接客の場として使われました。
多忙を極めた渋沢栄一の一日は、分刻みのスケジュールだったということです。現代でも新聞に首相の一日の動向などが載っていますが、まさにあんな感じで、スケジュールが詰まっていたんでしょうね。
渋沢栄一は、忙しい時は、1日に80人もの人と面会していたらしいです。朝起きるともうすでに数人が面会に訪れていたということです。早いですね。そんな早朝から、誰とも会いたくないですよね。でも、渋沢栄一は、まず、やってきた人々の話を聞いたということです。
それが終わってから、渋沢栄一は、わずかなスキマ時間を見つけて朝食を取りました。
その朝食のメニューが、今、人気のオートミールということなんです。オートミールとは、オーツ麦を脱穀して、平らに押しつぶして、乾燥させたもの。名前の由来は、オーツ麦のoatsと食事のmealから、来ています。スーパーでも手軽に手に入りますよ。
渋沢栄一も、牛乳と砂糖をたっぷりとかけたオートミールを食べていたそうです。これには、びっくりですよね。
『雨夜譚会談話筆記』という資料には、こう書かれているそうです。
何時の頃からかはっきりしないがオートミールは大変旨いものだ・あっさりしていてあれを食べないと食事した様な気がしない
よほど、お気に入りだった様子ですね。食べやすいし、忙しい渋沢栄一には、ぴったりだったのかも。
さっと食事を済ませた渋沢栄一は、食べ終わると、すぐに仕事に戻り、人々の話に耳を傾けていたそうです。
渋沢栄一の子孫が語る渋沢栄一とは?
番組では、渋沢栄一の子孫である鮫島純子(すみこ)さんに、インタビューをされています。
鮫島純子さんは、大正11(1922)年、東京生まれ。御歳98歳になられます。エッセイストで、とても若々しくて、素敵な方です。
そして、お父様は、渋沢栄一のご子息なんです。つまり、鮫島さんは、渋沢栄一のお孫さんに当たります!
鮫島さんの話によると、渋沢栄一は、自分だけがお金持ちになったり、楽したり、良くなったりすることよりも、世の中の人々が喜んだり、楽しんでいるところを見るのが、嬉しそうだったと言います。
本当に素晴らしい方だったのですね。
鮫島さんは、子供の頃、祖父、渋沢栄一の家を訪ねた時の思い出を語られました。鮫島さんは、渋沢栄一の自宅のすぐ近くに住んでおられたそうです。
おじいさまである渋沢栄一は、「ごきげんよう」と挨拶をする、親戚の子供たち、みんなの頭を優しく撫でながら、梅干し飴をくれたそうです。
素敵な思い出ですね。
鮫島さんは、オートミールと聞くと、鮫島さんの父である正雄さんのことを思い出すそうです。
渋沢栄一の三男である正雄さんは、自分の父である渋沢栄一を大人(たいじん)と呼んで、とても尊敬していました。大人(たいじん)とは、父や師匠に対する敬称のことです
渋沢栄一と同じく、実業家であった正雄さんは、いつも「父・渋沢栄一ならどうしたのだろうか」と考えて、行動していたそうです。
そして、正雄さんも、渋沢栄一のやり方通りに、「オートミールとトーストとハムエッグ」という朝食をとっておられたということです。
世の中でも尊敬されている渋沢栄一は、家庭でも、とても尊敬されていたんですね。
パリ万博に行く船の中で、渋沢栄一が見た西洋とは?
渋沢栄一は、埼玉県深谷市の農家の長男として生まれました。
23歳の時に、一橋家、のちの15代将軍となる徳川慶喜に仕えることになりました。この辺りは、大河ドラマ『青天を衝け』でもお馴染みですね。
渋沢栄一は、一橋家の財政基盤を立て直し、慶喜から、絶大な信頼を得るのです。
そして、27歳でパリ万博に派遣されます。会計係に抜擢されたのです。
ヨーロッパへは、当時、横浜の港から、1ヶ月以上もかかりました。
その船上での毎日は、渋沢栄一にとって初めて触れる「異国」でした。
その時の記録を細かく記したのが『航西日記』が番組内でも紹介されていました。
そこには、渋沢栄一が西洋の食文化に、驚き、魅了されていく様子が書かれています。
食後、カッフェーという豆を煎じた湯に砂糖と牛乳を合わせたものを飲む。口の中がすこぶる爽やかになる味。
渋沢栄一が初めて、コーヒーを飲んだ時の記録が残っています。コーヒーって、飲み慣れるまで、好き嫌いがありそうですが、最初から、気に入っていたみたいですね。
大河ドラマ『青天を衝け』の中でも「すこぶる胸が爽やかだい!」とお気に入りのようでしたね。
また、牛の乳を濾したものをパンに塗る、バターと思われる記述も残っています。
大河ドラマ『青天を衝け』では、吉沢亮さんの演じる渋沢栄一が、いつも、いろいろなことに興味を持ち、果敢にチャレンジしていく姿が、眩しく映りますが、実際の渋沢栄一も、新しいことをどんどん取り入れていく性格だったようですね。
ヨーロッパに滞在している間も西洋の文化に触れ、その後の日本の発展に貢献していくことになります。
渋沢栄一のつくった帝国ホテル
番組では、渋沢栄一が晩餐会で振る舞ったスイーツを当時のレシピで紹介していました。
バニラアイスクリームは、当時一番よく登場したデザートということです。このあたりは、あまり現代と変わらないような気がしますね。
渋沢栄一のスピーチが長すぎて、アイスクリームが溶けてしまったというエピソードも。
昭和3年9月29日に帝國ホテルで出された渋沢栄一の米寿祝いの席で、出されたメニューが紹介されていました。
クリームスープ、伊勢海老(マヨネーズソース)、ブレーゼビーフ(マデラソース)、鶏肉ロースト(フライポテト)、サラド、プウディング、果實 コーヒーとなっています。
とても豪華で、美味しそうですね!
プウディングとは、プリンのことです。美味しそうなプリンが紹介されていました。ブレーゼビーフは、ブレゼビーフでしょうね。
そして、マロンシャンティイも。シャンティイとは、生クリームのことです。栗の渋皮煮を乗せて、とてもおしゃれなデザートです。一度食べてみたいですね。
東京日比谷にある帝国ホテルは、130年前の1890年に設立された老舗ホテルです。
国際社会に誇れるグランドホテルを作って欲しいという、明治政府の要請に応え、渋沢栄一が設立しました。渋沢栄一の功績の一つです。渋沢栄一は、その初代会長として、経営にあたりました。帝国ホテルは、渋沢栄一の民間外交の舞台でもあったのです。
渋沢栄一は、ホテルを訪れるたびにスタッフに言葉をかけていました。渋沢栄一の言葉は、今でもスタッフたちの胸に刻まれています。
帝国ホテル 総料理長 杉本雄さんは、渋沢栄一の「どうすれば、お客様の好むものを提供することができるか」という教えを、日々、現場で考えておられ、130年経った今でも、この精神を基本として心がけておられるそうです。
杉本さんは、渋沢栄一のオマージュとして、新たにスイーツを考案されました。途上国の雇用を生むフェアトレードチョコレートを使ったスイーツです。金融界でも活躍した渋沢栄一にちなんだ「金融家」という意味のあるスイーツ『フィナンシェ』です。
渋沢栄一の尊い教えは、彼がいなくなった後もずっと受け継がれているのですね。
「楽しかったよ」 渋沢栄一の飛鳥山の晩年
渋沢栄一は、東京・飛鳥山で晩年を過ごしました。
『晩香盧』という建物が残っています。渋沢栄一は、ここで、国内外からの客人を招いて、お茶を楽しんだり、もてなしたりしていました。
晩香盧には、「おもてなしの心」が随所に見られます。例えば、天井のレリーフには、動物や植物が描かれています。これは、会話のきっかけになるようにという渋沢栄一の心遣いの表れです。
渋沢栄一は、当時としては、とても長生きな91歳で亡くなるまでに、たくさんの人々の心に、耳を傾け、力を尽くしました。
お孫さんの鮫島純子さんによると、スムーズに進んだ事業ばかりではなく、苦労をしたことも多かったそう。
そんな渋沢栄一が亡くなる前に、鮫島さんの伯父(渋沢栄一の息子)が、渋沢栄一に「どんな一生でしたか」と聞いたそうです。
渋沢栄一は、「楽しかったよ」と一言、言ったそうです。なんだか、渋沢栄一の人生や、人となりを表しているような気がしてなりません。
オートミール・グラノーラのレシピ 「もちもち」と「カリカリ」
渋沢栄一が食べていたオートミールは、牛乳と一緒に火にかけて、お粥みたいにした、ごくオーソドックスなものだったということです。
番組では、そんなオートミールの良さを再発見、ということで、「モチモチ」と「カリカリ」のオートミルを作っていました。
オーバーナイトオーツは、前の夜に作っておけば、翌朝は、食べるだけという忙しい日常にぴったり!
材料は、オーバーナイトオーツ 2〜3人分・グラノーラ 4人分(グラノーラスイーツ・ロッシェを含みます)
(オーバーナイトオーツ)(プレーン)
オートミール 40g、ヨーグルト80g、牛乳とオリゴ糖 10gずつ
牛乳とヨーグルトとオリゴ糖を混ぜます。よく混ざったらオートミールを加え、混ぜ合わせます。ラップをして、一晩置くだけ。牛乳の代わりに、豆乳やアーモンドミルクを入れてもいいし、甘みは、オリゴ糖でなくても、はちみつやメープルシロップを使ってもOKです。
(果物のフルーツソース)
冷凍いちご 50g 冷凍ラズベリー 30g 冷凍ブルーベリー 20g グラニュー糖 20g
冷凍のいちご、ラズベリー、ブルーベリーに、グラニュー糖を振って、冷蔵庫で一晩おいたもの。鍋に移して、火にかける。混ぜすぎると実が崩れるので注意。砂糖が完全に溶けて、粗熱が取れたら、出来上がり。
瀬戸さんは、オートミールの上に、ソースをかけない派で、盛り付けが「カレーみたい」と、かまどさんに言われていました。スリランカ風カレーみたいだと。
最後に飾りにミントの葉を乗せるとおしゃれですね。
オートミールに何を組み合わせるかは、お好み次第。
アレンジレシピ
(ミルクティのオートミール)
オートミール 40g、ミルクティー 100ml、オリゴ糖 10g 生クリーム50g、粉砂糖4g
温かいミルクティーの場合は、オートミールに注いで、10分置きます。冷たいミルクティーを使う場合は、オートミールにミルクティーを注いで、ラップをかけて、冷蔵庫で一晩置きます。ミルクティーのオーバーナイトオーツには、ホイップクリームを。
(りんごとバナナのオートミール)
オートミール 40g りんご100g バナナ15g 牛乳10gヨーグルト30g はちみつ20g レモン汁 15ml
バナナ、りんご、牛乳、ヨーグルト、はちみつ、レモン汁をミキサーにかける。オートミールに加え、ラップをして一晩、冷蔵庫で冷やしておく。
りんごバナナミルク風味には、リンゴとバナナの角切りをトッピング。
(グラノーラ)
オートミール 180g グレープシードオイル 90g はちみつ 60g ブラウンシュガー 30g 塩1g シナモンパウダー1.5g
グレープシードオイル、はちみつ、塩を混ぜ合わせます。
オートミールを加えて、ゴムベラで混ぜる。ブラウンシュガーとシナモンも加える。
天板に広げ、低めでじんわり。低い温度で、時間をかけて焼きます。温度が高いと中まで火が通る前に周りが焦げてしまって、カリッとならないので、ムラができないように、時々、混ぜ返しながら、150度で、30分から40分、焼きます。
冷めたら、ボウルに移します。ドライフルーツやナッツを混ぜて、好みのグラノーラに仕上げる。
番組では、クランベリー、かぼちゃの種、ミックスドライフルーツ、ひまわりの種、ピーカンナッツ、くこの実、グリーンレーズンを準備していました。
お好みで調整を!
(ロッシェ)
グラノーラ 200g ホワイトチョコレート 100〜130g
手作りグラノーラは、そのまま食べてもチョコレートでコーティングしても。
牛乳をかけてもいいけど、アレンジで。ホワイトチョコレートで、グラノーラに、調温したホワイトチョコレートを加えて混ぜ合わせます。
スプーンですくって適量を、オーブンペーパーの上に置き固めます。一口サイズです。
オートミールのアレンジは、無限大です。
自分だけの味を見つけよう!
渋沢栄一のオートミールの感想 地元では、渋沢栄一のオートミールクッキーも
『グレーテルのかまど』で、渋沢栄一がオートミールを食べていたことを知り、面白かったです。
『グレーテルのかまど』、次回は、『パリブレスト』です。渋沢栄一もパリに行くし、パリつながりで、次回の放送も見てみたいですね。
現在、大河ドラマ『青天を衝け』では、まだ、幕末です。渋沢栄一も京都に来て、いとこの渋沢喜作とご飯を炊いたりするようなシーンがありましたよね。
渋沢栄一の朝ごはんを考えたことは、ありませんでしたが、もし、考えたとしても、ご飯と味噌汁の和食、または、パンぐらいしか、想像できなかったと思います。
それが、なんと、オートミールということを知って、驚きました。
実は、オートミールを今まで食べたことがありませんでした。大河ドラマ『青天を衝け』を見ながら作って、翌朝の朝食で、食べてみたいと思います。
ところで、渋沢栄一がオートミールが好きだったという話は、有名で、地元の深谷市では、「渋沢栄一翁が愛したオートミールクッキー」という商品が発売されているようです。
埼玉県深谷市のお菓子屋「西倉西間堂」さんが、地元の高校生の方々と共同で開発された商品だそうです。「オーツ麦にカシューナッツを加えたキャラメル味のクッキー」ということで、聞いただけで、美味しそうで、一度、食べてみたいですね!
なお、西倉西間堂さんでは、「渋沢栄一翁最中」も発売されているようで、お土産などにも、喜ばれそうですよね。
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