こんにちは
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も放送開始から、早1ヶ月。
佐殿(すけどの)こと、源頼朝の挙兵が決まり、最初の山場を迎えていますね。
今回は、『鎌倉殿の13人』の主人公、北条義時のお兄さんである北条宗時について書きたいと思います。
/#北条宗時(ほうじょう・むねとき)#片岡愛之助
\
義時の兄。源氏の貴公子・源頼朝を旗頭に平家打倒を訴える、熱き理想家にして熱血漢。若者らしい野心を胸に秘める。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/Y6dNdLF9du— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) December 6, 2021
北条宗時は、どんな人? 義時の兄 家系図は?
北条宗時をご存知だったでしょうか?
似たような名前の北条時宗なら、知っているんだけど、宗時は、ちょっと、という方が多いと思います。
北条宗時が大河ドラマに登場するのは、2回目なんです。前回は、1979年放送の大河ドラマ『草燃える』でした。
『草燃える』の主人公は、北条政子。この時の北条政子は、若き日の岩下志麻さんが演じられました。きっと、とても美しい北条政子だったんでしょうね。私は、今回の小池栄子さんの北条政子も可愛らしくて、大好きです。演じられる方によって、イメージが変わるのが面白いですよねー。
ちなみに、『草燃える』の北条宗時は、中山仁さんでした。
『草燃える』の原作は、女流歴史小説家の大家である永井路子さん。最近では、この永井路子さんの直木賞受賞作『炎環』が、大河ドラマ本の側に関連本としておいてある本屋さんも多く、密かなブームになっていますね。
さて、北条宗時は、伊豆の国の豪族の北条時政の嫡男として生まれました。幼名は、若王丸と言うそうです。生まれた年は、定かではないのですが、弟の義時が1163年に生まれていることから、その何年か前であることが考えられます。
平家の世の中に不満を抱いている人物です。
家系図を見ますと、宗時、政子、義時、阿波局(実衣・宮澤エマさん)の四人きょうだいでありますが、実は、政子だけ、母やが違うんです。宗時、義時、阿波局の母親は、伊藤祐親の娘なのですが、政子だけは、違います。
宗時の人生を大きく変えたのは、ズバリ、妹の政子が源頼朝の妻になったことでしょう。
流人ではあるけれど、源氏の嫡流でもある源頼朝の力を借りることで、伊藤祐親から、源頼朝を匿って、挙兵をすすめます。
宗時は、頼朝を担ぎ上げ、坂東から平氏を追い出して、坂東武者の世の中を作ろうとしていました。
このことにより、北条氏は、平家を打倒する挙兵の渦に巻き込まれています。
北条宗時の死因・最期・妻・子孫は? 宗時を殺したのは、善児? 石橋山の戦い
治承4(1180)年、8月17日、伊豆目代(もくだい)の山木兼隆の邸、兼隆の後見役でもある堤信遠の邸を、父親の時政や弟の義時と一緒に、襲撃し、先導役を務め、見事に勝利。
しかし、8月23日に、平氏の討伐軍である大庭景親の3000騎ある軍に対して、源頼朝は、300騎という少数で、石橋山で戦います。この石橋山の戦いで、源頼朝軍は、惨敗し、敗走することになります。
8月24日、景親の兵に追われた頼朝軍たちは、山中に逃げ込むのですが、土肥実平の進言により、軍を分散して、建て直すことにします。
この時、北条の父と子たちは、頼朝と行動を別にすることになります。
さらに、父・時政と弟・義時とも、宗時は、行動を別にしたと言われています。どうやら、宗時は、北条の館に帰ろうとしていたらしいです。
父・弟と行動を別にした宗時は、伊藤祐親の軍に囲まれて、最期は、祐親の味方の小平井久重に討たれて、命を落とします。
『鎌倉殿の13人』では、伊東祐親の下人である『善児』に刺殺されていましたね。善児とは、第一回で、頼朝と八重の子供である千鶴丸を川に連れて行って、殺したと思われる人ですよね。これからも、ドラマの中に度々現れると思われます。ドラマを彩る架空の人物のようですね。梶原善さんという飄々とした俳優さんが演じられていて、一見、怖い人に見えないところが不気味ですよね。
さて、宗時ですが、1180年に亡くなっているので、30歳前後の生涯だったんでしょうか?
妻の記録は、残っていないらしく、結婚していたのでしょうか? 子供はいたのでしょうか? 子孫はいなさそうです。 短い人生の間に、最愛の人と結ばれていたらいいなと思いますね。
北条宗時のお墓はどこ?
宗時のお墓は、函南(かんなみ)町にあります。
函南町は、伊豆半島の付け根にあります。静岡県の東部の町。近隣には、沼津市や三島市、伊豆国市や熱海市があります。また神奈川県の箱根町や足柄町とも隣接しています。
この函南(かんなみ)町の北東部にある函南駅から、徒歩5分のところに、北条宗時のお墓はあります。宗時神社として、祀られています。『吾妻鏡』によると、1202年に、父の時政によって、祀られたと言われています。夢のお告げがあったそうです。
宗時神社とは言いますが、立派な神社があるわけではなく、簡素なものです。
宗時の墓には、狩野茂光(工藤茂光)も一緒に祀られています。茂光は、石橋山の戦いで、深手を負い、逃げられなくなり、函南で自害しました。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、一緒に行動して、同じく最期を迎えていましたね。
北条宗時役は、片岡愛之助さん
そんな北条宗時役を演じられるのが、歌舞伎俳優の片岡愛之助さんです。
生まれは、昭和47(1972)年。大阪の堺市出身です。
有名な話だと思いますが、実は、歌舞伎の家柄に生まれた方ではなく、一般のご家庭の出身になります。ご実家は、工場を営まれていて、習い事の一つとして、受けられたオーディションで、見事に合格。松竹芸能で、子役をされていました。
子役で活躍されていたところを十三代目の片岡仁左衛門さんの目にとまり、二代目片岡秀太郎さんの誘いもあり、歌舞伎の世界に入られたそうです。
1992年に六代目として、片岡愛之助を襲名します。
実力で、自分の道を切り開いていかれた方なんですね。また、片岡愛之助さんの妻は、藤原紀香さんということも有名ですよね。
いろいろな顔を持っておられる楽しみな俳優さんです。
片岡愛之助さんと大河ドラマ
北条宗時の役柄、好きだった人が多いのではないでしょうか?
明るくて、元気で、血気に逸ったり、その一方で、ちょっとおっちょこちょいな面もある、家族思いの優しいお兄さんといった感じでしたよね。
ずっと登場されるかと思ったら、こんなに早く、ドラマから退場されるなんて、ちょっと寂しい気もしますよね。
片岡愛之助さんは、インタビューの中で、「三谷幸喜さんから、物語の最初を勢いよく引っ張っていってくださいと言っていただいた」と、おっしゃられています。
本当に、とても熱く、ドラマを引っ張っていってくれた気がしますよね。
そんな、短い出演期間の間でも、大きく印象に残った北条宗時を演じた片岡愛之助さん。
ご本人も魅力がたっぷりの、テレビでもさまざまな役柄を演じられる俳優さんですよね。
愛称の「ラブリン」というお名前は、名前だけではなく、ご本人の魅力を表したぴったりの愛称ですよね。ファンの方の愛情もたっぷり詰まっているのを感じます。
歌舞伎が好きな方は、ずっと前から、お馴染みだと思いますが、普段、歌舞伎をあまり見ない方にとって、片岡愛之助さんを印象付けたのは、あの『半沢直樹』の国税庁・金融庁の黒崎ではないでしょうか。とてもインパクトのある役柄でしたよね。
また、大河ドラマファンにとって、外せないのが、何と言っても2016年の大河ドラマ『真田丸』ですよね。今回と同じく、三谷幸喜さん脚本の作品でした。この時に演じられたのが大谷吉継。石田三成の盟友でもあり、物悲しさも備えた、とても記憶に残る大谷吉継だったと思います。
さらには、『麒麟がくる』では、今川義元役! 歴代、今川義元は、有名な俳優さんが演じられることが多いですが、片岡愛之助さんの今川義元も、大変、印象に残る個性的な今川義元でした。
そして、大河ファンがおそらく、最初に注目したのは、『新選組!』のスピンオフ作品、正月時代劇『新選組!! 土方歳三 最期の一日』での榎本武揚役ではないでしょうか?
片岡愛之助さんは、通算で3回の大河ドラマ、およびスピンオフ作品にも出られているのですね。
また、NHKでは、朝ドラ『まんぷく』にも、出演。加地谷圭介役は、いい人だと思ったら、そうではなかったりと、なかなか魅力的な登場人物でしたよね。
片岡愛之助さんは、『鎌倉殿の13人』からは、退場しますが、今後の『鎌倉殿の13人』の展開、また、片岡愛之助さんの次の出演作も楽しみですね。